2015(平成27)年度 秋季大会【特集 なぜ「部活動」が描かれ続けるのか】

2015(平成27)年度 昭和文学会 秋季大会
日時 11月14日(土)午後12時50分より
会場 奈良大学 C棟102教室(〒631―8502 奈良県奈良市山陵町1500)
 
     
特集 なぜ「部活動」が描かれ続けるのか
 

 
 
開会の辞

真田 信治(奈良大学文学部長)

 

【基調講演】

賢治の祈り――『銀河鉄道の夜』から『幕が上がる』まで――               

平田 オリザ

 
【研究発表】

アップランする身体――部活動小説としての綿矢りさ『蹴りたい背中』――       

矢口 貢大

 
<女子>と<部活>――吉田秋生『櫻の園』を中心に――    

竹田 志保

 
戦後日本における運動部活動

中澤 篤史

 
閉会の辞

阿毛 久芳(代表幹事)

 

司会 山岸 郁子・大石 紗都子・友田 義行

 
 
【企画趣旨】
  文学において未成年を主軸とした「部活動」とは、如何なる表現性を展開してきたのか。中学校・高等学校における運動部や“部活”を題材とする文学作品は数多い。それらを通じて、未成年の直面する不条理や危機の特殊性を表現することが可能なのは確かであり、今日に至るまで、ある特定のイメージを牽引してきたといえるだろう。しかし、そうしたイメージは従来文学研究の対象として注目されてこなかったのではないだろうか。
  文学における青年像については、たとえば政治運動や時代状況などの観点からも論じられてきた。それらに対し、「部活動」に焦点を絞った場合、わずか数年という有限性がより一層明確であり、その意味で、必ずしも将来の目標に繋がる現実参加でもなければ、かといって単なる韜晦や享楽でもない特殊な時空であるがゆえに論じる対象とはされにくいといった側面があったのではないか。さらに「部活動」は教育的な管理と生徒主体の活動の間のグレーゾーンであり、両者の拮抗は、政治の季節や非行問題などを背景として時代によって変容している。そこには独特の不条理な規範・上下関係などがあり、一般社会のそれとも異なる試練が生じるといった意味において非常に特殊な「場」でもある。
  平田オリザ「幕が上がる」には演劇部で全国大会を目指す高校生の姿が生き生きと描かれている。ある意味大人社会のバランス感覚を超越するような、「部活動」にかける部員の打ち込み方や練習の密度の表象は、一方では絶えず「大人」たちの需要として相対化される側面を持っている(「幕が上がる」においては高校演劇出身の美術教員によって相対化させることに成功している)。そうした未成年の姿は、明るく向上的な側面のみならず、時としてむしろ病理やストイシズムを伴う。そこには、未成年が何らかの形で馴致されながらも、一方でそこからの逸脱を試み、その拮抗を通じて変容をとげる様も見いだせる。その理不尽さも含めた未成年特有の共同体のエトスに注目することは、従来多くがアンチテーゼ・アウトサイダー意識の側から逆説的に、個の内面の解放を志向してきた「文学」そのものを問い直すことにもつながるのではないだろうか。  「部活動」を軸に据えることによってその限定的な時間ゆえに起こる特殊(だが日常的)な出来事を捉えることが可能となる。そういった意味において、「部活動」が「文学」の本質をあぶりだす一つの要素となることは間違いないだろう。

 
 
【講演者略歴】
平田 オリザ(ひらた・おりざ)
  1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。在学中に劇団「青年団」を結成。2002年度中学2年教科書に演劇学習教材「対話劇を体験しよう」を書き下ろし。ロボット演劇プロジェクトを開拓。現在、東京藝術大学特任教授、大阪大学客員教授、四国学院大学客員教授。岸田國士戯曲賞、読売演劇大賞優秀演出家賞、朝日舞台芸術賞グランプリ、モンブラン国際文化賞など受賞多数。2011年フランス国文化省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。戯曲の代表作に、『東京ノート』、ソウル市民五部作、『S高原から』など、主な著書に『わかりあえないことから』『演劇入門』『芸術立国論』など多数。
 
 
【ゲスト発表者略歴】
中澤 篤史(なかざわ・あつし)
  1979年大阪府生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科・准教授。専門は、身体教育学・スポーツ科学・社会福祉学。主著『運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社、2014)。
 
 
【発表要旨】
アップランする身体 ――部活動小説としての綿矢りさ『蹴りたい背中』――

矢口 貢大(東京大学大学院)

  綿矢りさ『蹴りたい背中』(2003年、河出書房新社)は、第130回芥川龍之介賞受賞作であり、19歳の史上最年少芥川賞作家の誕生として、当時一大センセーションを巻き起こした。『蹴りたい背中』は、従来「青春小説」や「恋愛小説」としての側面が強調されるあまり、その特徴である部活動への繊細な視線が見落されてきた。高校1年生で陸上部に所属する語り手のハツは、「アップランだけは譲れない」と、競技そっちのけで陸上部の基礎練習に全力を注いでいる。ハツはそれを「ドラマチックな走り系トレーニング、アップラン」と称し、トラックを周回するごとにスピードを上げていく自身の身体に独自の物語を読み込む。また作中に登場する人物たちには、「ソフトボール部員」「野球部員」といった部活動を冠する呼称が用いられ、学校空間における部活動の名が持つ力学が丹念に描き出されている。それらの描写の分析を通して、文学表現における部活動の持つ機能を明らかにする。                                                         
 
<女子>と<部活> ――吉田秋生『櫻の園』を中心に――
竹田 志保(学習院大学他非常勤講師)

  〈女子〉の〈部活〉ものの代表作として挙げられるものに、吉田秋生の『櫻の園』がある。名門女子高校の演劇部を題材とした本作は、のちに中原俊監督によって映画化もされ、双方が高い評価を受けた。ここには〈部活〉ものに多く見出されるような特訓や勝利への指向はほぼない。本作が描出するのは、複数の〈女子〉グループ間の差異や、〈男子〉や〈大人〉との距離、自己の性や身体をめぐる葛藤、そして〈部活〉という場でこそ生起する〈女子〉同士の関係性である。こうしたアプローチは、成長期の〈女子〉の表象としてリアリティをもって迎えられる一方で、〈女子〉への幻想を強化するものでもある。一方的にまなざされることへの抵抗を示す登場人物を描きながらも、それ自体がフェティッシュに対象化されてしまうという本作の矛盾は、〈女子〉表象についての重大な問題提起をしている。〈女子〉と〈部活〉の表象について、『櫻の園』漫画版、映画版の比較検討を中心に、近年の部活映画なども視野に入れつつ考察していきたい。

 
戦後日本における運動部活動

中澤 篤史(一橋大学大学院准教授)

  戦後日本にとって運動部活動とはどのような存在だったのだろうか。
  運動部活動の歴史は明治期にまで遡ることができるが、それが大きく拡大し、多くの日本人にとって無視できない学校経験の一部となったのは、戦後日本においてである。
  本発表では、運動部活動がどのような戦後の歴史を経て、現在のような大規模なシステムとして拡大したのかを考える。
  結論として、運動部活動の拡大のプロセスには、民主主義・平等主義・管理主義をキーワードとする戦後日本の特徴が関連していることを指摘する。
  本発表のねらいは、部活動が描かれた文学作品そのものを論じるというよりも、そうした文学作品が生まれる土台としての部活動というシステムが、どのような歴史的・社会的文脈において成立/変容してきたのかを探る点にある。
  表象を分析する準備として、現実を見つめ直す役割を果たしながら、特集テーマ「なぜ『部活動』が描かれ続けるのか」に貢献したい。