お詫び

この度、学会員のみなさまにお送りした「昭和文学会第59回研究集会」​の​案内状に関して、第一会場の発表者の方々の発表要旨が印刷されておりませんでした。発表者の方々に​深く​お詫び申し上げるとともに謹んで訂正させていただきます。訂正した要旨等は現在HPに掲載されているものになりますので、ご確認のほど宜しくお願いいたします。
 
現在、案内状の再発送準備を進めております。学会員のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、発送までしばしお待ちくださいますようお願い申し上げます。
 

2016年11月17日

2016(平成28)年度 第59回研究集会

2016(平成28)年度 昭和文学会 第59回研究集会
 
日時 12月10日(土)午後1時30分より
 
会場 東京学芸大学 C棟(中央講義棟)302・203教室
(〒184-8501 東京都小金井市貫井北町4-1-1)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

 
 
 
【研究発表】
第一会場(C棟302教室)

尾崎翠テクストにおける「影」への恋 ――「歩行」を中心に ――

小野 光絵

 
「女性はみんな母である」——高村光太郎の戦争詩における〈女性〉像の研究——
アギー エヴァマリア

 
不透明な戦後 ―― 川端康成『舞姫』における舞踊 ――
杵渕 由香

 
安部公房「赤い繭」論 ――「寓話」と名付けられること ――
斎藤 朋誉

 

司会 掛野 剛史・竹田 志保

 

第二会場(C棟203教室)

〈批評文学〉の可能性 ―― 福田恆存「道化の文学」論 ――

長谷川 雅美

 
大岡昇平『レイテ戦記』に於ける「人間」と「全体」
中山 新也

 
中上健次『枯木灘』における語りの構造―― 聴き手としての秋幸 ――
峰尾 俊彦

 
石油資源の獲得という大義 ―― 山崎豊子『不毛地帯』を読む視点 ――
徳永 光展

 
司会 河田 綾・友田 義行

 
※ 終了後、小金井クラブにて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
 
【発表要旨 第一会場】
尾崎翠テクストにおける「影」への恋 ――「歩行」を中心に ――
小野 光絵(おの・みつえ、総合研究大学院大学)

   尾崎翠の短編小説「歩行」(昭和6年9月)は、連作的関係にある「第七官界彷徨」(昭和6年2月‐6月)や「こほろぎ嬢」(昭和7年7月)、「地下室アントンの一夜」(昭和7年8月)との連続性については度々注目を集めてきた。しかし、他の尾崎翠テクストとのテーマ的連続性については、未だ大きな研究の余地を残している。
 短編「木犀」(昭和4年3月)や評論「映画漫想」(昭和5年4‐9月)等の先行する尾崎翠テクストにおいて、「影」への志向が繰返し提示されてきた。その中心に位置するのはチャップリンへの思慕であり、それは生身の俳優ではなく「影」としてのチャップリン、つまり虚構化され、スクリーン上にあらわれた存在への恋として語られている。本発表では、それらテクストで語られる「影」への恋というテーマの一つの到達点として「歩行」を位置づける。
 また、尾崎翠テクストにおける「影」イメージの表象を論じるにあたり、今まで研究の俎上に乗せられてこなかった同時代の戯曲資料などとの間テクスト性についても明らかにしていく。 
 
「女性はみんな母である」―― 高村光太郎の戦争詩における〈女性〉像の研究 ――
アギー エヴァマリア(あぎー・えばまりあ、首都大学東京大学院)

   太平洋戦時下の戦争詩の多くは、「兵士」や「戦闘」、「死」など〈男性の戦争〉という主題を備えていた。高村光太郎の「彼等を撃つ」や「必死の時」などはその代表作である。だが高村は一方で、女性を歌った戦争詩も残している。太平洋開戦以前、西洋の美に傾倒する『道程』から日本女性に初めて美と愛を見いだす『智恵子抄』まで、高村は女性を様々に表象した。そこでは、特に女性の「肉体」とその肉体に向けられる「性欲」が主題となっていた。こうした女性像は、宣戦布告を経て大きく変貌する。肉体と性欲の要素を削った〈母〉が、作品「女性はみんな母である」や「山道のをばさん」の中に新たな女性像の典型として登場する。一方「少女戦ふ」では、〈母〉以前の女性を「立派な戦士」として称え、戦地の兵士に劣らぬ姿として描いてもいる。本発表は、高村の太平洋戦時下の作品中における女性像に焦点をあて、戦時下の詩における〈女性〉という主題のもと、戦争詩読解の新たな局面を開くことを目的とする。
 
 
不透明な戦後 ―― 川端康成『舞姫』における舞踊 ――
杵渕 由香(きねぶち・ゆか、二松学舍大学大学院)

   川端康成『舞姫』(『朝日新聞』朝刊、1950年12月12日‐1951年3月31日)は、舞踊を中心としながら敗戦後の価値の混乱期を背景に、崩れゆく家族が描かれている。本作では、実在の舞踊家が数多く登場する。その中でもより重要なのは、作品内現在において活動していた人物たちであり、舞台上映ではなかろうか。例えば、波子や品子が鑑賞する「長崎の絵踏」や「プロメテの火」は実際に1950年12月に公演されたものである。バレリーナである波子や品子が、日本舞踊や現代舞踊を鑑賞しているのは注目に値する。バレエに限定されることなく、多様な舞踊が取り上げられていることには、敗戦後の文化の流動性や雑種性が象徴されているといえよう。また、本作では絵画や彫刻などの美術品に関する言及が数多い。見通しが不透明な中で、同時代の芸術に関する情報を積極的に作品に取り込もうとする語り手の姿勢は際立っている。
 本発表では、作中に取り込まれた同時代の事象の意味づけを問い直すことで、『舞姫』ひいては敗戦後の川端康成の連載小説における志向や実験意識を捉えることを試みる。
 
 
安部公房「赤い繭」論 ――「寓話」と名付けられること ――
斎藤 朋誉(さいとう・ともたか、國學院大學大学院特別研究生)

   本多秋五によって、安部公房が「変貌の作家」と定位されて既に久しい。研究史上、その「変貌」に関する考察では、方法論の変化を主軸として、それに付随する文体の変化や、背景にある思想面の変化が取り沙汰されてきた。
 その契機として第二回戦後文学賞受賞作である「赤い繭」が想定され、多く研究が重ねられてきたわけだが、「赤い繭」は、「三つの寓話」と題された作品群の一つでしかない中、初出誌目次においては何故か「赤い繭」が題として掲載されてしまうという複雑な出版事情を抱えており、実のところ、何が第二回戦後文学賞受賞作であるのか定かではないのである。しかし、この不確定な状況を超えて、「赤い繭」は現在まで存在し続けている。
 そのことの意味を、まずは「三つの寓話」という相対を再評価したうえで改めて考えてみたい。「赤い繭」には、その他二短編とは別の、自立した力が内在していると考える。
 
 

【発表要旨 第二会場】
〈批評文学〉の可能性 ―― 福田恆存「道化の文学」論 ――

長谷川 雅美(はせがわ・まさみ、國學院大學大学院聴講生)

   批評家・福田恆存は、その出発期から戦後にかけて多くの作家論を執筆した。なかでも「道化の文学―太宰治について―」(「群像」昭和23・6-7)は、太宰治の文学を芥川のそれに連ねることで近代日本文学史上に位置付け、「芸術に生活を一致せしめようと意図」した「裏がへしにされた私小説」であると論じた、戦後福田の代表作である。同時代評を概観すると、福田の提出した太宰像はおおむね受け入れられたようであるが、メタフィクショナルな太宰の小説の語り口を真似た文体への評価からは、「道化の文学」が、批評の一人称は筆者と同一であるという批評の文体に対する先入観を揺さぶるものであったことが読み取れる。本発表では、福田が批評を綴りはじめた昭和10年代の文壇状況を鑑みつつ、戦前の作である「芥川龍之介論(序説)」(「作家精神」昭和16・6)の試みの先に「道化の文学」を定位し、当時の福田恆存が、虚構であることに自覚的である批評=〈批評文学〉に新たな文学の可能性を見出していたことを明らかにしたい。
 
 
大岡昇平『レイテ戦記』に於ける「人間」と「全体」
中山 新也(なかやま・しんや、東洋大学大学院)

   大岡昇平『レイテ戦記』(1971年)の特質は、「人間」の語り方にある。本発表の目的は、『レイテ戦記』と同じく資料とインタビューを用いて書かれた、デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター』、亀井宏『ガダルカナル戦記』等の比較を通し、『レイテ戦記』の特質を浮き彫りにすることにある。
 比較対象の文献では「人間」が「全体」から一方的な影響を受けるだけなのに対し、『レイテ戦記』は「人間」が「全体」の影響下にあることを認めつつ、「全体」に対して個人的意志によってコミットしようとする、多様な「人間」のあり方を描写する。『レイテ戦記』に於ける「人間」は「全体」の支配下にあるのではなく、「全体」を作り出す存在として、「全体」と同等の価値を与えられ、両者が相互に影響し合う存在として語られるという語りの構造と展開を、本発表を通して具体的に明らかにしていく。
 
 
中上健次『枯木灘』における語りの構造 ―― 聴き手としての秋幸 ――
峰尾 俊彦(みねお・としひこ、東京大学大学院)

   中上健次(1946~92)の代表作である『枯木灘』(1977年)は、これまで現代文学のカノンとして特権的に評価されてきた。しかし、その評価は『枯木灘』をカノンたらしめるべく、論者の文学観を作品に投影したものに過ぎず、その「語り」の機構全体を分析し、さらにその「語り」の戦略と「路地」という中上の代名詞といえるトポスが有機的に結び付けられて論じられている議論はいまだない。そこで、本発表ではナラトロジーの方法論をもとに『枯木灘』の「語り」を分析していきたい。特に、注目したいのは、作中で主人公の秋幸が他の登場人物の話を聴き、そこから話の語り手に焦点移動が起こるという語りが『枯木灘』で採用されていることである。この語りの文学的効果を分析し、それを物語内容の解釈へ送り返すことで、中上が『枯木灘』で描こうとした「路地」というトポスの文学的意義を定式化してみたい。
 
 
石油資源の獲得という大義 ―― 山崎豊子『不毛地帯』を読む視点 ――
徳永 光展(とくなが・みつひろ、福岡工業大学)

   『不毛地帯』は、太平洋戦争中、大本営陸軍部作戦課参謀として手腕を振るった壹岐正が、敗戦後シベリヤ抑留11年を経て帰国し、近畿商事で後半生を過ごす物語を中心に展開されている。壹岐正のモデルとされる瀬島龍三の解釈によると、日米開戦は1941年7月26日にアメリカが日本に対して在米資金の全面凍結を決め、石油の輸入がストップすることになった事件に端を発するという。よって、壹岐正が後年、近畿商事での取り扱い品目を紡績から石油に切り替え、イランのサルベスタン油田開発に人生最後の仕事を賭けていった背景には、自らが陸軍参謀として戦争決行へと突入していかざるを得なかった過去の教訓が頭をもたげていたからと解釈できる。本発表では、昭和という時代に日本が直面した米ソ冷戦構造の渦中における政治的かじ取りをはじめ、中東地域や東アジア諸国との国際関係にも目配りしつつ、石油調達問題に焦点を当て、壹岐の判断について論じる。
 
 

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2016(平成28)年度 秋季大会

2016(平成28)年度 昭和文学会 秋季大会
 
特集 詩学的批評の時代――1950~1970年代の言語論/国家論を再考する
 
日時 11月12日(土)午後1時より
 
会場 鶴見大学 1号館 5階 501教室
   (〒230-8501 横浜市鶴見区鶴見2-1-3)
 
 
開会の辞

高田 信敬(鶴見大学文学部教授)

 
【研究発表】
詩的言語と国家の原理――雑誌『無名鬼』『磁場』とその周辺
梶尾 文武

 

初期吉本隆明の文芸批評と共同体の理論

森岡 卓司

 

【講演】
吉本隆明の詩と〈罪〉の問題

瀬尾 育生

 
           
【シンポジウム】
ディスカッサント 安 智史

 
閉会の辞
代表幹事 一柳 廣孝

司会 立尾 真士・中村 ともえ

 

※終了後、記念館学生食堂にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
【企画趣旨】
   本企画のねらいは、1950年代から70年代にかけてとりわけ詩の批評のなかで行われた、言語や日本語をめぐる考察に焦点を当てることである。
   日本の文芸批評史において1980年代が一つの転換点をなすことは、論を俟たないだろう。記号論的な言語観が理論的な広がりを見せ、柄谷行人・蓮實重彦・三浦雅士といった批評家たちが登場して、ポスト構造主義的な言語論を展開した。とりわけ柄谷行人は『日本近代文学の起源』(1980)において、言文一致と近代日本語の成立を基点とした新たな国家論の枠組みを提示し、その後の国民国家論の隆盛を引き寄せることになる。しかし、これらをひと通り経た現在において、新たに言語の問題から文学の問い直しをはかるとき、鍵になるのはむしろ、「韻律」「定型」といった詩の要素に着目しつつなされた、50年代から70年代にかけての言語や日本語をめぐるさまざまな考察ではないだろうか。
   例えば吉本隆明は、1960年に連載を開始する『言語にとって美とはなにか』で時枝誠記・三浦つとむら国語学・言語学の議論を参照し、「自己表出」と「指示表出」という言語を構成する二概念を提示するとともに、日本語の初源に立ち戻ろうとした。その試みはやがて『初期歌謡論』(1977)へと結実することになる。さらにこの時代には、月村敏行・梶木剛らの批評、黒田喜夫・菅谷規矩雄・入沢康夫・北川透・大岡信らの詩論、岡井隆・金子兜太らの歌論・俳論など、方向性はさまざまだが主に詩に依拠しつつ言語や日本語を問題にするユニークな論考が数多く存在していた。詩的言語論と言うべきそれらの議論は、言語を通じて国家や共同体を問い直すものでもあり、その意味において70年代の日本文化論の流行とも接続するものであった。
   しかし、これらの批評的言説は、80年代以降の言語論・国民国家論を一面では用意するものであったにもかかわらず、80年代の批評によって過去のものとされ、近年の批評の文脈においてもほとんど言及されることがない。本企画では、1950年代から70年代にかけてなされたそれらの言語や日本語をめぐる考察を「詩学的批評」と名付け、国家論・文化論も視野に入れつつ、その現在的な意義を再考したい。
 
 
【講演者略歴】
瀬尾 育生(せお・いくお)
   1948年、愛知県生まれ。東京大学文学部独語独文学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科独語独文学科修士課程修了。首都大学東京都市教養学部教授などを経て、現在、首都大学東京都市教養学部名誉教授。詩人、ドイツ文学者。詩集に『ハイリリー・ハイロー』、『DEEP PURPLE』(第26回高見順賞)、『アンユナイテッド・ネイションズ』など、著書に『文字所有者たち 詩、あるいは言葉の外出』、『われわれ自身である寓意 詩は死んだ、詩作せよ』、『戦争詩論 1910-1945』(第15回やまなし文学賞)、『詩的間伐 対話2002‐2009』(稲川方人との共著、第1回鮎川信夫賞)、『純粋言語論』、『吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち』など多数。
 
 
【発表要旨】
詩的言語と国家の原理――雑誌『無名鬼』『磁場』とその周辺

梶尾 文武(かじお・ふみたけ、神戸大学)

   吉本隆明「詩とはなにか」(1961年)は、のちの大著『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』のエスキースとなった評論と目される。そこで吉本は、折口信夫「国文学の発生」が提示した詩の信仰起源説をいわば脱魔術化し、詩の発生を、「人間の社会における存在の仕方の本質」と相関的な「意識の自己表出」に求める理路を用意した。
   国家が自己を社会的に疎外する装置であるとすれば、吉本は、それと逆立することなしにはありえない位相に詩を見出している。後続の批評家たちの多くは、同時代における「革命」という実践的課題と不可分な原理として、吉本のポエティクスを継承した。本発表では、吉本の雑誌『試行』から分岐した『無名鬼』『磁場』の村上一郎・桶谷秀昭、『あんかるわ』の北川透や、これらに参加した月村敏行・菅谷規矩雄・芹沢俊介らの動向に注目し、吉本を中心に一個のシューレを形成した彼らの詩学的批評が詩と国家の関係をいかに原理化したかを概観したい。
 
 
初期吉本隆明の文芸批評と共同体の理論
森岡 卓司(もりおか・たかし、山形大学)

   磯田光一『吉本隆明論』(1971)は、三島由紀夫という「陰画」を用いることで、1960年代に結実した吉本隆明のアイロニカルな共同体論に対して、整理の行き届いた見取り図を提供した。そこで磯田が吉本との共有を主張する「「普遍ロマンチシズム」の破却」というテーマは、より広くこの時代の批評的な主題としてとらえることがむしろ適切であろう。そして、そうした身振りにもかかわらず文学の領域を共同体(論)の外部に確保しようとする磯田とはことなり、少なくとも60年代までの吉本は、そうした「相対性」を拒絶する文学に深い関心を向けていた。
   本発表においては、こうした60年代吉本文芸批評の特質を、近接する位置にいたと思われる桶谷秀昭ら同時代の文芸批評との比較も念頭におきつつ再検討する。その手がかりとして、宮澤賢治、高村光太郎を論じる中で形作られた吉本の文学観が、北村透谷を中心にした明治浪漫主義への論及においてどのように展開されたのかに注目してみたい。
 
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秋季大会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前にお葉書で下記にお申込みください。
〒101-0064 千代田区猿楽町2-2-3笠間書院内 昭和文学会会務委員長・和田博文宛

2016(平成28)年度 春季大会

2016(平成28)年度 昭和文学会 春季大会
 
特集 〈文学が世界で流通する〉という事態を問う
 
日時 6月11日(土)午後1時より
 
会場 青山学院大学 14号館総研ビル12階大会議室
   (〒150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25)

 
 
開会の辞

篠原 進(青山学院大学副学長)

 
【基調講演】
人文学の将来と人間的差異(anthropological difference)
酒井 直樹

 

【研究発表】
戦後日本における「世界文学」の系譜

笹沼 俊暁

 

第二次テクスト論の射程 ――翻訳・原作・流通――

中村 三春

 
           
【シンポジウム】
 
閉会の辞
代表幹事

司会 榊原 理智・高橋 由貴

 

※終了後、青学会館にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
【企画趣旨】
  2000年代から「世界文学」という言葉を冠した著書が多く出版されるようになり、英語圏を中心に文学の生成・流通過程を世界的な文脈の中で捉える新たな文学研究の可能性が模索されている。現代文学はもちろん、過去の文学を再編成した「世界文学」のアンソロジー編纂も、英語圏では複数試みられており、2010年以降は日本でも、翻訳を通じて日本文学が流通することに価値を見出す言説が、数多く生産されている。
  こうした事態は、ポスト・コロニアリズムの隆盛によって非西洋圏文学の英語訳が激増したこと、インターネットによって新しいタイプの読者共同体が生成されつつあること等、文学の流通/生成のインフラ変容に支えられているが、ここで構想され具体化されている「世界文学」という概念は、たしかに新たな可能性を日本文学研究にもたらすと思われる。例えば、一国内の文脈に縛り付けられていた文学作品が、思いも寄らなかった文脈に置き直されることによって別の読みに拓かれる可能性はあるし、西欧文学の基準で編まれていた文学史が、アフリカやアジアの文学を考慮に入れることによって根底から組み替えられることになるかもしれない。「国民文学」の縛りや、西洋・非西洋の壁を打ち破る可能性を、「世界文学」という言葉の広がりが持っていることは間違いがない。
  しかし、同時に「世界文学」という問題系は、さまざまな葛藤を我々に投げかける。この潮流を、今までの西洋・日本の非対称性を是正する機会であるかのように考え、翻訳された日本文学がグローバルに認定されることを単純に言祝ぐのであれば、それはグローバル・スタンダードを無批判に受け入れ、温存することになるだけである。そこでは、「日本」という同一性は担保されたまま「西洋」に取って代わる名辞として「世界」が使われているのであって、最終的には非対称性を問う契機を失うことになる。これまでの普遍/特殊の構造が、「世界」を装ってさらに強化される可能性すらあると考えられる。
  これまで、こうした問題にもっとも先鋭的に取り組んできたのは翻訳論の領域であった。今回の企画では「〈文学が世界で流通する〉という事態を問う」という中心テーマを掲げ、翻訳論の成果を踏まえつつも、多角的な視点から「世界文学」の問題系の検証を行うと同時に、現在の日本文学研究のさまざまな前提を問い直す場となることを目指したい。
 
 
【講演者略歴】
酒井 直樹(さかい・なおき)
  1946年、神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、シカゴ大学東アジア言語文化学科で博士号取得。シカゴ大学人文科学部助教授などを経て、現在はコーネル大学比較文学科及びアジア学科教授。専門は日本思想史、比較文学、翻訳理論。
  著書に『死産される日本語・日本人――「日本」の歴史‐地政学的配置』(新曜社、1996年)、『日本思想という問題――翻訳と主体』(岩波書店、1997年)、『過去の声――一八世紀日本の言説における言語の地位』(以文社、2002年)、『日本/映像/米国――共感の共同体と帝国的国民主義』(青土社、2007年)、『希望と憲法 日本国憲法の発話主体と応答』(以文社、2008年)などがある。
 
 
【発表要旨】
戦後日本における「世界文学」の系譜

笹沼 俊暁(ささぬま・としあき、台湾・東海大学副教授)

  近年、池澤夏樹編集による世界文学全集など、従来の西欧中心主義的な世界文学を越える、世界文学概念の再検証の動きがある。カルチュラルスタディーズやポストコロニアル批評などの隆盛がその背景にあるが、しかし、そうした動きは、冷戦期にさかんに叫ばれた「第三世界」概念にも源流があると考えられる。戦後日本思想史における「世界文学」言説を再検証する。同時に、リービ英雄のように、メジャーな言語を母語としつつ、相対的にマイナーな言語を創作言語とする、「マイナー文学(ドゥルーズ&ガタリ)」を反転させた創作活動の意義についても検証する。                               
 
第二次テクスト論の射程――翻訳・原作・流通――
中村 三春(なかむら・みはる、北海道大学大学院教授)

  日本語は翻訳語との融合を経て現代を迎え、日本文学は海外からの影響を受けて展開してきた。翻訳と比較は、他者理解と自己認識において不可避であることを、酒井直樹やジョナサン・カラーは語っている。日本文学の翻訳や原作が世界的に流通している現状を見ても、その言語は既に翻訳的なものであり、原作もまた常に混成的な対象であることを忘れることはできない。翻訳、あるいは原作のある作品は、他のテクストによって作られる第二次テクストであるが、第一次テクストも本来第二次テクストであり、国際化は実は根元的に発生していたことになる。ここからオリジナリティや主体性に関する根底的な見直しが必要であるとともに、国際化や流通の回路を逆流させ、新たな断面を切り出すことができるのではないだろうか。ここでは、村上春樹と小川洋子を題材として、翻訳と原作が流通する時に見えてくる再帰的な様相を、第二次テクスト一般論を展望しつつとらえてみたい。
 
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春季大会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前に下記までお問い合わせください。
連絡先:takumi■rikkyo.ac.jp(会務委員長・石川巧) ※■を@に直してください。