2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会

2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会
 
特集 冷戦期の余白を埋める ――ベトナム戦争を視座として 
 
日時 6月10日(土)午後1時30分より
 
会場 日本大学文理学部 3号館5階 3505教室
   (〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

  
 
開会の辞
紅野 謙介(日本大学文理学部教授)

 
【基調講演】
ベトナムを見続けて53年
石川 文洋

 

【研究発表】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔

 

子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達

 
           
日本人のベトナム体験
川村 湊

 

【ディスカッション】
 
閉会の辞

一柳 廣孝(代表幹事)

司会 尾崎 名津子・友田 義行

 

※終了後、3号館1階カフェテリア秋桜にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
【企画趣旨】
   占領期以降、日本は冷戦構造のなかで、政治・経済の両面で独特のポジションを与えられた。つまり、政治的な配置においては西側に属しながらも、冷戦の最前線ではなく、その後方に位置づいたということ。また、殊に東南アジアへの経済進出を進めることを通して、アジアにおける分業経済体制の中心を担ったことである。
   この構造が成立する重大な契機の一つに、ベトナム戦争(1960—75年)がある。それは日本がアメリカにとってアジアにおける後方基地として在ることを否応なく想起させ、沖縄の在日米軍基地問題と結びつくかたちで関心の的となった。「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の活動に代表されるように、1960年代後半には大規模な市民運動が展開されもした。
   同時に、テレビの普及をはじめとするメディア環境の変容も重なり、文学、ジャーナリズム、演劇、映画、新聞・雑誌文化といった諸側面において、この時期には「文化の地殻変動」ともいうべき事態が発生していたようにも見える。それはまた、ロックに代表される音楽やマンガなどのポピュラーカルチャーが、一種のカウンターカルチャーとしても流行したということともつながるであろう。ベトナム戦争の形象化は、こうした変容を前提としている。
   戦争とメディアの展開に否応なく向き合った文化状況とはいかなるものであったのか。その担い手たちは「ベトナム」を起点として何を想像/創造したのか。こうした観点からの考察がより積極的になされてもよいはずだが、ベトナム戦争期の文学・文化に関する研究上の「余白」は、いまだ埋められていないかのように思われる。本企画では、ベトナム戦争を起点として生起したさまざまな現象を多角的に捉え返すことを通して、冷戦構造下の日本の文化状況を検討したい。
 
 
【講演者略歴】
石川 文洋(いしかわ・ぶんよう)
   1938年沖縄県生まれ。1964年、毎日映画社を経て、香港のファーカス・スタジオに勤務。1965年1月から1968年12月まで、フリーカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。朝日新聞社出版局勤務を経て、1984年からフリーカメラマンとして活躍している。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議特別賞、市川市民文化賞のほか、ベトナム政府より文化通信事業功労賞を受けるなど、受賞多数。
   初の写真展『戦争と兵士と民衆』以後、『沖縄の基地とアメリカの戦争』、『石川文洋が見たフクシマ』、『戦争と平和 ベトナムの五〇年』など、多数の写真展を開催。テレビドキュメンタリー『ベトナム海兵大隊戦記』を撮影するなど、幅広く活躍している。
   主な著書に、『写真記録ベトナム戦争』、『カラー版 ベトナム 戦争と平和』、『私が見た戦争』などがある。
 
 
【発表要旨】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔(あきよし・だいすけ、立命館大学大学院博士後期課程)

   1967年オフブロードウェイで上演された「ヘアー」は、ベトナム反戦運動や公民権運動を中心とする反体制運動から生まれたヒッピー文化を背景に、主人公が徴兵に悩む反戦ロックミュージカルである。翌年ブロードウェイでロングラン公演となり、世界各地で上演され、69年12月には東京に上陸する。68年アメリカの前衛演劇を視察し「ヘアー」を観劇していた寺山修司は、プロデューサーに日本版の台本を依頼される。寺山の台本は、翻訳劇ではなく、日本とアメリカの関係性を問い直し、黒人に対する人種差別の状況を在日コリアンに置き換えたものであった。しかし、実際の上演では、寺山の台本ではなく原作の直訳に近い台本が採用されることとなる。
   本発表では、寺山の台本と実際に上演された舞台を、現存する資料によって比較することで、「ヘアー」が脱政治化され消費の対象として受容されていく様を明らかにする。そして、ベトナム反戦運動などを契機としたアメリカのカウンターカルチャーを寺山がどう受容したのかを検証したい。                                   

 
子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達(もりした・ひろし、東京成徳大学人文学部助教)

   日本の児童文化においては、戦前・戦中期から、所与のものとしての善を体現する少年主人公が敵と戦うという枠組みのもと社会問題の取りこみも図られてきた。1960年代後半の日本において、手塚治虫や水木しげる等のマンガ家たちが、自身が創造した子ども向けのヒーローを相次いでベトナム戦争に立ち向かわせることになったのも、広い意味ではこの姿勢を踏襲するものである。こうした児童文化の枠組みを意識しながら、本発表では、少年誌・少女誌でくりかえしベトナム戦争を取り上げたマンガ家である石ノ森章太郎の作品群に着目する。そこでは、現実の社会問題を意識した形で敵の造形のアップデートが図られた結果、戦いが抽象化し、最終的にはヒーローが現実に関われないことが主題化されるに至っていった。この点から、ポピュラー・カルチャーが同時代の「政治」や「社会」からは切断された領域として確立されていく過程を浮き彫りにするのが、本発表の目的である。
 
 
日本人のベトナム体験
川村 湊(かわむら・みなと、文芸評論家)

   日本の現代作家で、ベトナム戦争が、その文学的な画期的な意味を有したと思われる作家として、開高健、日野啓三、近藤紘一の三人がいる。彼らは、ベトナム戦争の体験がなければ、作家となっていなかったかもしれない。しかし、そうした戦争の体験だけではなく、日本の文学者とベトナムとの邂逅はそれまでになかったわけではない。小松清などの例である。ベトナム戦争以前、以降の日本人のベトナムとの関わりを検証する。
 

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春季大会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前にお葉書で下記にお申込みください。
〒101-0064 千代田区猿楽町2-2-3笠間書院内 昭和文学会会務委員長・和田博文宛

2017(平成29)年度 昭和文学会 第60回研究集会

2017(平成29)年度 昭和文学会 第60回研究集会
 
日時 5月13日(土)午後1時30分より
 
会場 実践女子大学 渋谷キャンパス 創立120周年記念館 403教室
(〒150-8538 東京都渋谷区東1-1-49)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

 
特集 〈現物〉を触る、読む―― デジタル時代における〈資料〉の価値 ――
 

【研究発表】
小林秀雄『実朝』論——文献の位相——

多田 蔵人

 
複数のアーカイヴから立ち上がる〝芥川龍之介〟 ——学生時代と最晩年を事例に——
小澤 純

 
物としての〈資料〉が語ること  ——大西巨人・横溝正史旧蔵資料の調査から——
山口 直孝

 

【全体討論】

司会 和泉 司・掛野 剛史

 
 
※ 終了後、創立120周年記念館九階カフェテリアにて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
【企画趣旨】
   資料のデジタル化とインターネットのブロードバンド化によって、文献資料の探索・閲覧の利便性は著しく向上した。入手や閲覧が困難であった資料がデジタル資料、あるいはインターネット配信などによって利用できるようになっている。国会図書館のデジタルコレクションや論文検索・閲覧サイトのCiNiiなどはその代表的なものであろうし、出版社においても、新聞各社のweb上でのバックナンバー閲覧・検索機能や、丸善雄松堂の「オンライン版三田文学」など、従来膨大な物理的量で書庫を圧迫していた資料体をPCがあればどこでも閲覧できるようにしたことの意義は非常に大きい。
   今やデジタル資料の存在なしでの研究は不可能であり、デジタル時代以前に戻ることはもはやできない。だからこそデジタルの限界、問題点に自覚的になる必要があるだろう。
   デジタル化は資料の物理量をほぼゼロに出来る点で画期的だが、資料体の独自性が犠牲になる場合もある。近代以降の文学資料に限っても、一つのテクストの単行本に、複数のバージョンが存在するが、デジタル資料はそれらすべてをカバーしているとはいえない。
  また、国会図書館所蔵の書籍がデジタル化され広く公開される状況が生まれているが(しかしここには様々な制約があり、公開状況が十分とは言えないという問題もある)、国会図書館所蔵本は、同時代の流布本と必ずしも一致しない。このような国会図書館所蔵本がデジタル化され公開されることによって、流布本の存在やその研究可能性が失われる危険もはらんでいる。このような問題を超えるためにも、資料の物理的原本を探索・収集し内容を比較していく作業が不可欠である。
   しかしこれらの問題点は研究者の間で必ずしも広く共有されていないようにも思える。またそうした問題点は研究としてどう接続し、どのような文脈に置かれるのか。そもそもデジタルではカバーできない研究、〈現物〉を見なくては成立しない研究にはどのような可能性があるだろうか。
   デジタル資料の存在が当然となってから研究を始めた世代も現れるようになっている今こそ、その問題点を踏まえて、〈現物〉の意義を考える機会をもちたい。
 
 

【発表要旨】
小林秀雄『実朝』論——文献の位相——

多田 蔵人(ただ・くらひと、鹿児島大学)

  資料の価値を考えるための事例として、小林秀雄『実朝』を読み、昭和10年代における「書物」の役割を探る。大正末からの出版行為の活発化は、書物への視線の変容を招来した。書誌学、文献学、愛書趣味等の書物論がそれぞれ隆盛を見るなか、たとえば古典籍について、書物と本文の存在様態が改めて関心を集めてゆくのである。
  ところどころに文献学や書誌学への否定的な言葉を書き込んでいる小林秀雄『無常といふ事』は、これらの書物論を媒介としつつ、独自の書物の眺め方を示そうとした試みである。とりわけ『実朝』は、当時文献学上の論争テーマであった『金槐和歌集』を論じている点、また小林における書物論と美術批評との関係を示す点でも、重要な章であると言える。
  当時の書物論を読むことは、たとえば古典回帰の流れにおける論者の歴史論、あるいは国家論の基層を抽出することに繋がる。まずは『金槐和歌集』をめぐる〈現物〉を徹底的に集めるところから、この課題に接近してみたいと思う。  
 
 
複数のアーカイヴから立ち上がる〝芥川龍之介〟 ——学生時代と最晩年を事例に——
小澤 純(おざわ・じゅん、慶應義塾志木高等学校)

   芥川龍之介は、その〝遺物〟の収蔵と公開に恵まれ続けてきた作家の一人である。2017年においても、日本近代文学館の館報(3月15日発行)によれば「一塊の土」原稿が収められ、また山梨県立文学館で1月から始まった「新収蔵品展」では菅虎雄宛と真木珧宛書簡が披露された。岩波の新版全集(1995~98)は、芥川家からの寄贈等を礎にした前者と古書店主・岩森亀一のコレクション等を基にした後者、また芥川の甥・葛巻義敏の関係資料も収める藤沢市文書館等、各施設に分散した肉筆資料を参照して編纂、2008年の二次刊行時に補訂されている。ただ、例えば山梨の『芥川龍之介資料集』図版と比較すれば、編集方針から外れたものや省略等があり、更新される目録や紀要等を参考に、各施設へと足を運んで初めて詳細が明らかになる〝現物〟も存在する。近年では、種々のデジタル・コンテンツが充実し、『芥川龍之介ハンドブック』には資料の所蔵先情報が纏められ、個人蔵を含む翻刻作業と分析が進みつつある。本発表では、複数のアーカイヴを調査することで、主に「羅生門」を中心とした学生時代と「河童」「歯車」を軸とした最晩年の諸テクストを読み直す端緒を開きたい。           
      
 
物としての〈資料〉が語ること  ——大西巨人・横溝正史旧蔵資料の調査から——
山口 直孝(やまぐち・ただよし、二松學舍大学)

   縁あって大西巨人・横溝正史の旧蔵資料の整理・調査に携わっている。手探りで作業を進めてきた体験から、物としての〈資料〉が持つ意義を提示してみたい。
  旧蔵資料の核の一つに蔵書がある。巨人・正史とも取材をしない作家であり、書物から題材や着想を得ていたが、読書の範囲は判然としない。記憶力のよい二人は、ノートやメモを作らず、本に付箋をしたり、線を引いたりすることも稀である。目を通したものと未読のものとの見極めに迷わされるが、書籍の状態が手がかりとなる場合がある。本の感触は、二次元の画像からはこぼれ落ちてしまう。
  〈資料〉の範囲が定まれば、デジタル画像での保存が可能であるが、その前に、どこまでを〈資料〉として扱うか、判断がなされなければならない。作家の生活と結びついていた膨大な点数の〈資料〉の選別には、繊細な感覚が求められる。作家が所有し、活動していた執筆の空間に対する意識を手放さないことが大切な要件となろう。 
 
 

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2017年度 昭和文学会の集会・企画は以下の予定です。
 
6月10日(土)春季大会(日本大学文理学部)
【特集】冷戦期の余白を埋める——ベトナム戦争を視座として

お詫び

この度、学会員のみなさまにお送りした「昭和文学会第59回研究集会」​の​案内状に関して、第一会場の発表者の方々の発表要旨が印刷されておりませんでした。発表者の方々に​深く​お詫び申し上げるとともに謹んで訂正させていただきます。訂正した要旨等は現在HPに掲載されているものになりますので、ご確認のほど宜しくお願いいたします。
 
現在、案内状の再発送準備を進めております。学会員のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、発送までしばしお待ちくださいますようお願い申し上げます。
 

2016年11月17日

2016(平成28)年度 第59回研究集会

2016(平成28)年度 昭和文学会 第59回研究集会
 
日時 12月10日(土)午後1時30分より
 
会場 東京学芸大学 C棟(中央講義棟)302・203教室
(〒184-8501 東京都小金井市貫井北町4-1-1)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

 
 
 
【研究発表】
第一会場(C棟302教室)

尾崎翠テクストにおける「影」への恋 ――「歩行」を中心に ――

小野 光絵

 
「女性はみんな母である」——高村光太郎の戦争詩における〈女性〉像の研究——
アギー エヴァマリア

 
不透明な戦後 ―― 川端康成『舞姫』における舞踊 ――
杵渕 由香

 
安部公房「赤い繭」論 ――「寓話」と名付けられること ――
斎藤 朋誉

 

司会 掛野 剛史・竹田 志保

 

第二会場(C棟203教室)

〈批評文学〉の可能性 ―― 福田恆存「道化の文学」論 ――

長谷川 雅美

 
大岡昇平『レイテ戦記』に於ける「人間」と「全体」
中山 新也

 
中上健次『枯木灘』における語りの構造―― 聴き手としての秋幸 ――
峰尾 俊彦

 
石油資源の獲得という大義 ―― 山崎豊子『不毛地帯』を読む視点 ――
徳永 光展

 
司会 河田 綾・友田 義行

 
※ 終了後、小金井クラブにて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
 
 
【発表要旨 第一会場】
尾崎翠テクストにおける「影」への恋 ――「歩行」を中心に ――
小野 光絵(おの・みつえ、総合研究大学院大学)

   尾崎翠の短編小説「歩行」(昭和6年9月)は、連作的関係にある「第七官界彷徨」(昭和6年2月‐6月)や「こほろぎ嬢」(昭和7年7月)、「地下室アントンの一夜」(昭和7年8月)との連続性については度々注目を集めてきた。しかし、他の尾崎翠テクストとのテーマ的連続性については、未だ大きな研究の余地を残している。
 短編「木犀」(昭和4年3月)や評論「映画漫想」(昭和5年4‐9月)等の先行する尾崎翠テクストにおいて、「影」への志向が繰返し提示されてきた。その中心に位置するのはチャップリンへの思慕であり、それは生身の俳優ではなく「影」としてのチャップリン、つまり虚構化され、スクリーン上にあらわれた存在への恋として語られている。本発表では、それらテクストで語られる「影」への恋というテーマの一つの到達点として「歩行」を位置づける。
 また、尾崎翠テクストにおける「影」イメージの表象を論じるにあたり、今まで研究の俎上に乗せられてこなかった同時代の戯曲資料などとの間テクスト性についても明らかにしていく。 
 
「女性はみんな母である」―― 高村光太郎の戦争詩における〈女性〉像の研究 ――
アギー エヴァマリア(あぎー・えばまりあ、首都大学東京大学院)

   太平洋戦時下の戦争詩の多くは、「兵士」や「戦闘」、「死」など〈男性の戦争〉という主題を備えていた。高村光太郎の「彼等を撃つ」や「必死の時」などはその代表作である。だが高村は一方で、女性を歌った戦争詩も残している。太平洋開戦以前、西洋の美に傾倒する『道程』から日本女性に初めて美と愛を見いだす『智恵子抄』まで、高村は女性を様々に表象した。そこでは、特に女性の「肉体」とその肉体に向けられる「性欲」が主題となっていた。こうした女性像は、宣戦布告を経て大きく変貌する。肉体と性欲の要素を削った〈母〉が、作品「女性はみんな母である」や「山道のをばさん」の中に新たな女性像の典型として登場する。一方「少女戦ふ」では、〈母〉以前の女性を「立派な戦士」として称え、戦地の兵士に劣らぬ姿として描いてもいる。本発表は、高村の太平洋戦時下の作品中における女性像に焦点をあて、戦時下の詩における〈女性〉という主題のもと、戦争詩読解の新たな局面を開くことを目的とする。
 
 
不透明な戦後 ―― 川端康成『舞姫』における舞踊 ――
杵渕 由香(きねぶち・ゆか、二松学舍大学大学院)

   川端康成『舞姫』(『朝日新聞』朝刊、1950年12月12日‐1951年3月31日)は、舞踊を中心としながら敗戦後の価値の混乱期を背景に、崩れゆく家族が描かれている。本作では、実在の舞踊家が数多く登場する。その中でもより重要なのは、作品内現在において活動していた人物たちであり、舞台上映ではなかろうか。例えば、波子や品子が鑑賞する「長崎の絵踏」や「プロメテの火」は実際に1950年12月に公演されたものである。バレリーナである波子や品子が、日本舞踊や現代舞踊を鑑賞しているのは注目に値する。バレエに限定されることなく、多様な舞踊が取り上げられていることには、敗戦後の文化の流動性や雑種性が象徴されているといえよう。また、本作では絵画や彫刻などの美術品に関する言及が数多い。見通しが不透明な中で、同時代の芸術に関する情報を積極的に作品に取り込もうとする語り手の姿勢は際立っている。
 本発表では、作中に取り込まれた同時代の事象の意味づけを問い直すことで、『舞姫』ひいては敗戦後の川端康成の連載小説における志向や実験意識を捉えることを試みる。
 
 
安部公房「赤い繭」論 ――「寓話」と名付けられること ――
斎藤 朋誉(さいとう・ともたか、國學院大學大学院特別研究生)

   本多秋五によって、安部公房が「変貌の作家」と定位されて既に久しい。研究史上、その「変貌」に関する考察では、方法論の変化を主軸として、それに付随する文体の変化や、背景にある思想面の変化が取り沙汰されてきた。
 その契機として第二回戦後文学賞受賞作である「赤い繭」が想定され、多く研究が重ねられてきたわけだが、「赤い繭」は、「三つの寓話」と題された作品群の一つでしかない中、初出誌目次においては何故か「赤い繭」が題として掲載されてしまうという複雑な出版事情を抱えており、実のところ、何が第二回戦後文学賞受賞作であるのか定かではないのである。しかし、この不確定な状況を超えて、「赤い繭」は現在まで存在し続けている。
 そのことの意味を、まずは「三つの寓話」という相対を再評価したうえで改めて考えてみたい。「赤い繭」には、その他二短編とは別の、自立した力が内在していると考える。
 
 

【発表要旨 第二会場】
〈批評文学〉の可能性 ―― 福田恆存「道化の文学」論 ――

長谷川 雅美(はせがわ・まさみ、國學院大學大学院聴講生)

   批評家・福田恆存は、その出発期から戦後にかけて多くの作家論を執筆した。なかでも「道化の文学―太宰治について―」(「群像」昭和23・6-7)は、太宰治の文学を芥川のそれに連ねることで近代日本文学史上に位置付け、「芸術に生活を一致せしめようと意図」した「裏がへしにされた私小説」であると論じた、戦後福田の代表作である。同時代評を概観すると、福田の提出した太宰像はおおむね受け入れられたようであるが、メタフィクショナルな太宰の小説の語り口を真似た文体への評価からは、「道化の文学」が、批評の一人称は筆者と同一であるという批評の文体に対する先入観を揺さぶるものであったことが読み取れる。本発表では、福田が批評を綴りはじめた昭和10年代の文壇状況を鑑みつつ、戦前の作である「芥川龍之介論(序説)」(「作家精神」昭和16・6)の試みの先に「道化の文学」を定位し、当時の福田恆存が、虚構であることに自覚的である批評=〈批評文学〉に新たな文学の可能性を見出していたことを明らかにしたい。
 
 
大岡昇平『レイテ戦記』に於ける「人間」と「全体」
中山 新也(なかやま・しんや、東洋大学大学院)

   大岡昇平『レイテ戦記』(1971年)の特質は、「人間」の語り方にある。本発表の目的は、『レイテ戦記』と同じく資料とインタビューを用いて書かれた、デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター』、亀井宏『ガダルカナル戦記』等の比較を通し、『レイテ戦記』の特質を浮き彫りにすることにある。
 比較対象の文献では「人間」が「全体」から一方的な影響を受けるだけなのに対し、『レイテ戦記』は「人間」が「全体」の影響下にあることを認めつつ、「全体」に対して個人的意志によってコミットしようとする、多様な「人間」のあり方を描写する。『レイテ戦記』に於ける「人間」は「全体」の支配下にあるのではなく、「全体」を作り出す存在として、「全体」と同等の価値を与えられ、両者が相互に影響し合う存在として語られるという語りの構造と展開を、本発表を通して具体的に明らかにしていく。
 
 
中上健次『枯木灘』における語りの構造 ―― 聴き手としての秋幸 ――
峰尾 俊彦(みねお・としひこ、東京大学大学院)

   中上健次(1946~92)の代表作である『枯木灘』(1977年)は、これまで現代文学のカノンとして特権的に評価されてきた。しかし、その評価は『枯木灘』をカノンたらしめるべく、論者の文学観を作品に投影したものに過ぎず、その「語り」の機構全体を分析し、さらにその「語り」の戦略と「路地」という中上の代名詞といえるトポスが有機的に結び付けられて論じられている議論はいまだない。そこで、本発表ではナラトロジーの方法論をもとに『枯木灘』の「語り」を分析していきたい。特に、注目したいのは、作中で主人公の秋幸が他の登場人物の話を聴き、そこから話の語り手に焦点移動が起こるという語りが『枯木灘』で採用されていることである。この語りの文学的効果を分析し、それを物語内容の解釈へ送り返すことで、中上が『枯木灘』で描こうとした「路地」というトポスの文学的意義を定式化してみたい。
 
 
石油資源の獲得という大義 ―― 山崎豊子『不毛地帯』を読む視点 ――
徳永 光展(とくなが・みつひろ、福岡工業大学)

   『不毛地帯』は、太平洋戦争中、大本営陸軍部作戦課参謀として手腕を振るった壹岐正が、敗戦後シベリヤ抑留11年を経て帰国し、近畿商事で後半生を過ごす物語を中心に展開されている。壹岐正のモデルとされる瀬島龍三の解釈によると、日米開戦は1941年7月26日にアメリカが日本に対して在米資金の全面凍結を決め、石油の輸入がストップすることになった事件に端を発するという。よって、壹岐正が後年、近畿商事での取り扱い品目を紡績から石油に切り替え、イランのサルベスタン油田開発に人生最後の仕事を賭けていった背景には、自らが陸軍参謀として戦争決行へと突入していかざるを得なかった過去の教訓が頭をもたげていたからと解釈できる。本発表では、昭和という時代に日本が直面した米ソ冷戦構造の渦中における政治的かじ取りをはじめ、中東地域や東アジア諸国との国際関係にも目配りしつつ、石油調達問題に焦点を当て、壹岐の判断について論じる。
 
 

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