2017(平成29)年度 昭和文学会 第61回研究集会

2017(平成29)年度 昭和文学会 第61回研究集会


日時 12月9日(土)午後1時30分より

会場 専修大学 神田キャンパス 2号館208・209教室
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8)

大会概要、アクセスなどはこちらをご参照ください。

【研究発表】
第一会場(2号館208教室)

詩人としての小川未明 ―― 詩集『あの山越えて』の考察 ――

増井 真琴

徳永直「文学サークル」論—― 1930年代の農村における文化活動の群像 ——

萬田 慶太

伊藤比呂美の詩における「引用」と「声」 ―― 詩「叫苦と魂消る」から考える ――

福尾 晴香

『完全版 1★9★3★7イ ク ミ ナ』 ―― 記憶の継承・分有にむけて ――

仲井眞 建一

ゴーリキー・「超人思想」・小林多喜二

  ―― 「女囚徒」「最後のもの」の生成過程と多喜二の思想形成をめぐって ――

ブルナ・ルカーシュ

 

司会 構 大樹・芳賀 祥子

 

第二会場(2号館209教室)

「伊豆の踊子」の受容史 ―― 教科書採録の視点から ――

西尾 泰貴

安岡章太郎『海辺の光景』論 ―― 〈ケア〉の視点から

安藤 陽平

三島由紀夫「祈りの日記」論―― 「日記」という形式をめぐって ――

福田 涼

高橋たか子「ロンリー・ウーマン」論 ―― 連鎖する「欲望」 ――

宮田 絵里

 

司会 大井田 義彰・櫻庭 太一

※ 終了後、1号館地下1階にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。


【発表要旨 第一会場】
詩人としての小川未明 ――詩集『あの山越えて』の考察――

増井 真琴(ますい・まこと、北海道大学大学院)


小川未明は、一般的に童話作家として知られているが、実際は小説家であり、随筆家であり、詩を紡ぐ詩人でもあった。詩集『あの山越えて』(尚栄堂、大正3年1月)は、そんな多才な文人が生涯に著した、唯一の詩集である。
しかし、詩人としての未明の活動は、従来、必ずしも注目されてきたとは言えない。「赤い蝋燭と人魚」「野薔薇」「金の輪」等、未明の主要な業績が大正期の童話に集中している事情もあって、これまでの未明研究は、大正童話のみを焦点化する傾向が著しかったからである。
そこで本発表では、小川未明研究史上の影のひとつである、詩人・未明の行状に光を当てるべく、詩集『あの山越えて』の考察を試みたい。明治末・大正初期の口語詩に着目することで、昭和期以降、強固に構築された、未明=童話作家という単一的な図式を相対化する視座を得る――それが発表者の企図するところだ。


徳永直「文学サークル」論 ――1930年代の農村における文化活動の群像―――

萬田 慶太(まんだ・けいた、広島大学大学院)


徳永直「文学サークル」(『中央公論』一九三三年一月)は、これまで多くが謎につつまれていた一九三〇年代の文化サークル活動の様相を描いた小説である。作中の長野の農村の人々は、日本共産党の強い影響下にあった全農全会派の文学サークル「山びこ」に参加していく。
徳永直「山宣サンの記念碑の畔で」(『文学新聞』一九三一年十一月一日)では、長野を訪れ、全農系の支部員と連絡をとっている様子がわかる。作家同盟の講演会でも長野県下を訪れ、徳永直「文学宣伝隊の必要」(『プロレタリア文学』一九三二年五月)では、飯田町や龍江村、伊那村、中鹽田村、小諸などの作家同盟長野支部下のサークルの存在を報告している。
「文学サークル」は、「サークル活動については読者は批判的に読んで欲しい」と付記された。「文学サークル」の読解を通じて、人物群像によって描かれた一九三〇年代のプロレタリア文化活動の問題と可能性に迫りたい。


伊藤比呂美の詩における「引用」と「声」――詩「叫苦と魂消る」から考える ――

福尾 晴香(ふくお・はるか、日本大学大学院)


伊藤比呂美が一九八四年に発表した詩「叫苦(ああ)と魂消(たまぎ)る」(『テリトリー論2』所収)は、滝沢馬琴の読本から現代の出産・育児に関わる実用書の類まで、時代とジャンルを超えたテクストを引用し組み合わせることによって構成されている。この詩は、馬琴の中でも妊婦の腹裂きが描かれた部分に着目し、そこに現代の医学的解説の言葉や生々しい切腹の作法を説いた言葉を引用によって重ねていく。引用は伊藤の一貫した手法のひとつだが、その最初の転換点が詩「叫苦と魂消る」であった。この詩を分析し、二次創作やパロディーが文化的な生産力として強調される現在、伊藤比呂美における引用と声のかかわり、その方法原理と特色はどのようなものか、抽出し光をあててみたい。さらに時間的に可能であれば、より一層、引用とコラージュを深化させた『テリトリー論1』以降にどのような方法の変更が起きたのかを考えてみたい。


『完全版 1★9★3★7イ ク ミ ナ
』――記憶の継承・分有にむけて――

仲井眞 建一(なかいま・けんいち、立教大学大学院)


辺見庸の『完全版 1★9★3★7』(二〇一六年一一月、初版は金曜日、二〇一五年一〇月、以下『1★9★3★7』)は批評、小説、随筆ともつかない特異なテクストである。「かつてなされた戦争のこと、とくにその細部についてぶつぶつとかたろう」とする辺見は、「父」を手がかりに過去の戦争を引き寄せようと試みる。「記憶の継承はいかにして可能か」という問題系を中心に、『1★9★3★7』は、その語りにおいて、「父」の他者化を行う。同時にその「父」を頼りに、ありえた(ありえる)可能性としての地平に、自らを他者として、パフォーマティブにつくり出していく。本発表は、「他者化」と「継承」という矛盾を基点に、記憶の継承がそもそもなんらかの想像的アイデンティティ、「父―子」を前提とした関係を超え、他者化によってしか可能でないとし、そのときはじめて「父―子」に連ならない他者と分有が可能になるということを明らかにしていく。

ゴーリキー・「超人思想」・小林多喜二

  ――「女囚徒」「最後のもの」の生成過程と多喜二の思想形成をめぐって――

ブルナ・ルカーシュ(ぶるな・るかーしゅ、実践女子大学助教)


プロレタリア文学の作家たちの多くは、ロシア作家M・ゴーリキーを「プロレタリア文学の父」と仰ぎ、その小説を愛読したことがよく知られている。ゴーリキーはそれ以前にも日本で読まれていたが、明治・大正の文壇では主にゴーリキーの初期の〈浮浪者もの〉が注目されていたのに対して、1920~1930年代には「『母』その他の作品」が注目を浴び、「直接階級闘争と結びつけられて議論され」るようになった。
小林多喜二はゴーリキーに強い関心を持っていた作家の一人である。本発表では、多喜二の初期の戯曲「女囚徒」と短編小説「最後のもの」の分析を行い、多喜二がゴーリキーの作品に見出した「超人思想」が両作品においてどのように展開されているのかについて検討・考察を行う。それによって、最初期の多喜二にとって、団結を踏まえた階級闘争を描いた『母』ではなく、寧ろ個人闘争を描いたゴーリキーの〈浮浪者もの〉が重要な飛躍台となったことが明らかとなる。


【発表要旨 第二会場】
「伊豆の踊子」の受容史 ――教科書採録の視点から――

西尾 泰貴(にしお・たいき、早稲田大学大学院)


川端康成「伊豆の踊子」は膨大な数の先行研究があるが、その多くは作家論や作品論を中心としたものであり、教科書における受容を論じたものは比較的少ない。
「伊豆の踊子」は一九五六年、好学社の教科書『高等学校国語一 上(新版)』に採録されて以来、一九六〇年代後半から一九七〇年代後半にかけて、映画化や川端康成のノーベル文学賞受賞に後押しされるかたちで、より多くの教科書に採録されるようになっていった。しかし、「伊豆の踊子」の全文を採録した教科書はきわめて少ない。それを踏まえると教科書における「伊豆の踊子」は、全集や文庫本とは異なった形式で受容されていったと言えるだろう。
本発表では、教科書における「伊豆の踊子」の教科書における受容を考察する。その際、採録した高等学校の国語教科書の全てを対象とした調査をデータとして扱い、採録箇所、改変箇所、設問内容、採録数といった多角的な視点から検証していく


安岡章太郎『海辺の光景』論 ――〈ケア〉の視点から――

安藤 陽平(あんどう・ようへい、立命館大学大学院)


安岡章太郎『海辺の光景』(一九五九・一二、講談社)は、母・浜口チカの最期の九日間を、息子・浜口信太郎の視点から描いた作品である。本作は、父不在の家庭状況における母と息子の蜜月の関係性に関心が集まり、長らくエディプス・コンプレックス的な解釈枠組から読解されてきた。母と息子の関係性は初期の安岡が書き継いだ主題でもあり、触れざるを得ない点ではある。他方、本作は「老耄性痴呆症」の母を見舞う息子の物語という側面も有している。本発表では主として後者の側面に着眼しながら、作品を〈ケア〉の視点から読解していきたい。
例えば小澤勲が提唱する「物語としての痴呆ケア」のような〈ケア〉理論を基にすると、チカの「老耄性痴呆症」をいかなるものとして解釈できるのか。〈ケア〉という視点からは、信太郎の言動をどのように捉え得るのか。それらの問いに対する分析を踏まえた上で、信太郎は病床の母とその死をいかに受け止めたのか、結末部の描写も視野に入れながら考察したい。


三島由紀夫「祈りの日記」論 ――「日記」という型式をめぐって――

福田 涼(ふくだ・りょう、大阪大学大学院)


三島由紀夫「祈りの日記にき」(『赤絵』第二号、昭和十八年六月)は、「わたくし」=康子という女性の回想的なモノローグによって構成される短篇小説である。本発表はこの「日記」という型式に着目し分析を施すことで、一篇が孕む問題性と独自性を明らかにする。
作中「わたくし」は更級日記に言及するが、物語への憧憬と耽読という点において孝標女と彼女の姿勢は重なっている。本篇の〈たおやめぶり〉の文体を支えているのは、こうした王朝文学に連なる「系譜」という発想にほかならない。
ただし、しばしば筒井筒の説話にも擬えられてきた本作が「日記」すなわち一人称回想体の結構を採用することによって、勢語とは重ならない独自の虚構を立ち上げていることは見過ごされてきた。
当該時期の国文学研究や堀辰雄ら先行の文学者、そして東文彦との文学的交流からの影響を視野に入れつつ、戦時下に紡がれた物語の方法と王朝文学への憧憬の帰趨を見定めたい。

高橋たか子「ロンリー・ウーマン」論 ――連鎖する「欲望」――

宮田 絵里(みやた・えり、立命館大学大学院)


本発表では高橋たか子の短編小説「ロンリー・ウーマン」(「すばる」、一九七四年六月)をとりあげる。「ロンリー・ウーマン」は近所の小学校の放火事件をきっかけとして、想像上の「放火犯」と同一化していく主人公・咲子を描いた作品である。この咲子の不可解な行動・心情は一種の「狂気」としてとらえられ、先行研究では咲子は孤独な狂女であり、その根底にあるのは女性の「自我」への抑圧であると主に解釈されてきた。
しかし、ここで考えてみたいのは、咲子はなぜ「放火犯」に執拗にこだわり、同一化しようとするのかということである。咲子にとって「放火犯」に同一化することは、それそのものが一種の快楽であるかのように作中で描かれている。本発表では咲子の「狂気」を「欲望」としてとらえ直し、この作品が短編連作のうちの一つであることをふまえつつ、その「欲望」がいかにして成立し得るものなのかを明らかにしていきたい。
 
 
———-
第61回研究集会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前にお葉書で下記にお申込みください。
〒101-0064 千代田区猿楽町2-2-3笠間書院内 昭和文学会会務委員長・和田博文宛

2017(平成29)年度 昭和文学会 秋季大会

2017(平成29)年度 昭和文学会 秋季大会

特集 モダニズム詩人の戦後と昭森社 

日時 11月18日(土)午後1時より

会場 関西学院大学 西宮上ケ原キャンパス 文学部本館1号教室
(〒662-8501 兵庫県西宮市上ヶ原一番町1−155)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

開会の辞

大橋 毅彦(関西学院大学文学部教授)

【研究発表】
書物という視角から考える――モダニズム詩の戦前と戦後

村山 龍

〈現代詩〉についての覚書
メモランダム
――モダニズム詩の再評価と『本の手帖』

小泉 京美


【講演】
リトルプレスとモダニズム詩人

内堀 弘

【シンポジウム】

ディスカッサント 鈴木 貴宇

閉会の辞

一柳 廣孝(代表幹事)

 

司会 大川内 夏樹・宮崎 真素美

 

※終了後、関西学院会館レセプションホールにて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。

 
【企画趣旨】
日本のモダニズム詩人たちは、1920年代から30年代にかけて華々しい活躍を見せた。それらの詩人たちは、戦後においてもなお旺盛な活動を継続し、さまざまな文化的側面に影響を及ぼし続けたが、そうした「モダニズム詩人の戦後」に着目し、論究される機会は、これまで決して多いとは言えなかった。そこで本企画においては、戦後、モダニズム詩人たちの活動の舞台となった「場」に着目し、「モダニズム詩人の戦後」について検討したい。
彼らは、戦後、出版メディアをめぐる新たな状況が生まれてくる中で、どこに活動の「場」を求めたのか。また、その再評価は、いかなる「場」においてなされたのか。このような視点から「モダニズム詩人の戦後」を考えようとする場合、「昭森社」という出版社の存在が浮かび上がってくる。1935年に森谷均がはじめた昭森社は、創業当時からモダニズム詩との結びつきが強く、戦後においても、モダニズム詩と関わりの深い、あるいは、深かった詩人たちの詩集を多く刊行し続けた。そして、1961年に同社から創刊された雑誌『本の手帖』では、「日本におけるシュルレアリスム」をはじめとするモダニズム特集が多数組まれており、戦後におけるモダニズム再評価の一翼を担うことになった。
また、このモダニズム詩と昭森社との結びつきという問題は、モダニズム詩と「リトルプレス」と呼ばれる個人編集を専らとする少部数出版物との関わりという、より大きな問題へとつながっていく。昭森社を含め、1920年代以降、印刷技術の一般化に伴い、こうしたリトルプレスを手掛ける出版社が数多く現れ、モダニズム詩人たちは、これらの出版社と協力関係を築くことで、部数は少ないながらも、魅力的な詩集や詩誌を世に送り出した。本企画では、「ひとり出版社」と呼ばれる現代の小規模出版社の活動へと続いていくリトルプレスの精神史を見据えながら、モダニズム詩とリトルプレスの関係についても考えてみたい。
以上のように、本企画は、昭森社という「場」を一つの視座とすることによって、戦後、モダニズム詩がどのように継承/断絶されたのかを検討し、戦後におけるモダニズム詩の位置づけに関して問い直しを図るものである。

 

【講演者略歴】
内堀 弘(うちぼり・ひろし)
1954年生まれ。古書店「石神井書林」店主。1920~30年代のモダニズム関連文献を扱う。著書に、『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(白地社、1992年/ちくま文庫、2008年)、『石神井書林日録』(晶文社、2001年)、『古本の時間』(晶文社、2013年)。共著に『日本のシュールレアリスム』(世界思想社、1995年)ほか。

 
【発表要旨】
書物という視角から考える――モダニズム詩の戦前と戦後

村山 龍(むらやま・りゅう、慶應義塾大学非常勤講師)

1920年代後半から春山行夫や西脇順三郎、北園克衛らによって切り拓かれたモダニズム詩の地平は「大東亜戦争」を経由して、戦後の鮎川信夫らの荒地派へと批判的に継承された。北川透が指摘するように荒地派は「文明批評的性格」を打ち出すことによって戦前のモダニズム詩との方法論的切断を図ったとされているが、〈近代〉なるものへの問いという根本的な視角においては戦前も戦後も通じるものだと考えられる。両者は全く異なる問題系に分かたれたのではなく、同じ問いに対して異なる解法を用いようとしたのではなかったか。そこで本発表では戦前から戦後にかけてのモダニズム詩の展開と接続を、書物というモノを媒介にして検証する。日本のモダニズム詩がフォルマリズムの影響下にあったことを考慮すれば、書物というフォルム(形式)もまた彼らにとって無視できないモノであったはずだ。モダニズム詩人が戦前・戦後ともに昭森社などのリトルプレスを主な活躍の場としたことの検討を通じて、モダニズム詩の相貌をあらためて照らし出したい。
 

〈現代詩〉についての覚書(メモランダム)――モダニズム詩の再評価と『本の手帖』

小泉 京美(こいずみ・きょうみ、武庫川女子大学)

1950年代半ば以降、『現代詩』『ユリイカ』『現代詩手帖』と、詩の総合雑誌の創刊が相次ぐ。続いて創刊された昭森社の書物雑誌『本の手帖』(1961~69年)は、北園克衛が構成を手がけ、モダニズム特集を数多く組んだことで知られる。これら詩壇ジャーナリズムの形成は、戦後詩の歴史化と新たな詩的世代の登場を支え、戦前のモダニズム詩再評価の機運にも寄与した。
戦後十余年を経た詩の歩みは、世代間のヘゲモニー争いを越えて、詩的言語の本質を原理的に問い直す時期に達していた。だが、それはモダニズムから反モダニズム、そしてモダニズムの再評価へという単線的な過程ではなかった。〈現代詩〉の構想は先行する第一次戦後派(=反モダニズム)への対抗として、自らの根源に戦前のモダニズムを新たに発見するという屈折した歴史意識の上になされ、その歴史観は今日に引き継がれている。本発表では『本の手帖』を中心にモダニズム詩が投げかけた問題を考えたい。
 
———-
秋季大会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前にお葉書で下記にお申込みください。
〒101-0064 千代田区猿楽町2-2-3笠間書院内 昭和文学会会務委員長・和田博文宛

2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会

2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会

特集 冷戦期の余白を埋める ――ベトナム戦争を視座として 

日時 6月10日(土)午後1時30分より

会場 日本大学文理学部 3号館5階 3505教室
(〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

開会の辞

紅野 謙介(日本大学文理学部教授)

【基調講演】
ベトナムを見続けて53年

石川 文洋

【研究発表】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔

子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達

日本人のベトナム体験

川村 湊

【ディスカッション】

閉会の辞

一柳 廣孝(代表幹事)

 

司会 尾崎 名津子・友田 義行

※終了後、3号館1階カフェテリア秋桜にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
【企画趣旨】
占領期以降、日本は冷戦構造のなかで、政治・経済の両面で独特のポジションを与えられた。つまり、政治的な配置においては西側に属しながらも、冷戦の最前線ではなく、その後方に位置づいたということ。また、殊に東南アジアへの経済進出を進めることを通して、アジアにおける分業経済体制の中心を担ったことである。
この構造が成立する重大な契機の一つに、ベトナム戦争(1960—75年)がある。それは日本がアメリカにとってアジアにおける後方基地として在ることを否応なく想起させ、沖縄の在日米軍基地問題と結びつくかたちで関心の的となった。「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の活動に代表されるように、1960年代後半には大規模な市民運動が展開されもした。
同時に、テレビの普及をはじめとするメディア環境の変容も重なり、文学、ジャーナリズム、演劇、映画、新聞・雑誌文化といった諸側面において、この時期には「文化の地殻変動」ともいうべき事態が発生していたようにも見える。それはまた、ロックに代表される音楽やマンガなどのポピュラーカルチャーが、一種のカウンターカルチャーとしても流行したということともつながるであろう。ベトナム戦争の形象化は、こうした変容を前提としている。
戦争とメディアの展開に否応なく向き合った文化状況とはいかなるものであったのか。その担い手たちは「ベトナム」を起点として何を想像/創造したのか。こうした観点からの考察がより積極的になされてもよいはずだが、ベトナム戦争期の文学・文化に関する研究上の「余白」は、いまだ埋められていないかのように思われる。本企画では、ベトナム戦争を起点として生起したさまざまな現象を多角的に捉え返すことを通して、冷戦構造下の日本の文化状況を検討したい。
 
【講演者略歴】
石川 文洋(いしかわ・ぶんよう)
1938年沖縄県生まれ。1964年、毎日映画社を経て、香港のファーカス・スタジオに勤務。1965年1月から1968年12月まで、フリーカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。朝日新聞社出版局勤務を経て、1984年からフリーカメラマンとして活躍している。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議特別賞、市川市民文化賞のほか、ベトナム政府より文化通信事業功労賞を受けるなど、受賞多数。
初の写真展『戦争と兵士と民衆』以後、『沖縄の基地とアメリカの戦争』、『石川文洋が見たフクシマ』、『戦争と平和 ベトナムの五〇年』など、多数の写真展を開催。テレビドキュメンタリー『ベトナム海兵大隊戦記』を撮影するなど、幅広く活躍している。
主な著書に、『写真記録ベトナム戦争』、『カラー版 ベトナム 戦争と平和』、『私が見た戦争』などがある。
 
【発表要旨】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔(あきよし・だいすけ、立命館大学大学院博士後期課程) 

1967年オフブロードウェイで上演された「ヘアー」は、ベトナム反戦運動や公民権運動を中心とする反体制運動から生まれたヒッピー文化を背景に、主人公が徴兵に悩む反戦ロックミュージカルである。翌年ブロードウェイでロングラン公演となり、世界各地で上演され、69年12月には東京に上陸する。68年アメリカの前衛演劇を視察し「ヘアー」を観劇していた寺山修司は、プロデューサーに日本版の台本を依頼される。寺山の台本は、翻訳劇ではなく、日本とアメリカの関係性を問い直し、黒人に対する人種差別の状況を在日コリアンに置き換えたものであった。しかし、実際の上演では、寺山の台本ではなく原作の直訳に近い台本が採用されることとなる。
本発表では、寺山の台本と実際に上演された舞台を、現存する資料によって比較することで、「ヘアー」が脱政治化され消費の対象として受容されていく様を明らかにする。そして、ベトナム反戦運動などを契機としたアメリカのカウンターカルチャーを寺山がどう受容したのかを検証したい。

 
子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達(もりした・ひろし、東京成徳大学人文学部助教)

日本の児童文化においては、戦前・戦中期から、所与のものとしての善を体現する少年主人公が敵と戦うという枠組みのもと社会問題の取りこみも図られてきた。1960年代後半の日本において、手塚治虫や水木しげる等のマンガ家たちが、自身が創造した子ども向けのヒーローを相次いでベトナム戦争に立ち向かわせることになったのも、広い意味ではこの姿勢を踏襲するものである。こうした児童文化の枠組みを意識しながら、本発表では、少年誌・少女誌でくりかえしベトナム戦争を取り上げたマンガ家である石ノ森章太郎の作品群に着目する。そこでは、現実の社会問題を意識した形で敵の造形のアップデートが図られた結果、戦いが抽象化し、最終的にはヒーローが現実に関われないことが主題化されるに至っていった。この点から、ポピュラー・カルチャーが同時代の「政治」や「社会」からは切断された領域として確立されていく過程を浮き彫りにするのが、本発表の目的である。
 
日本人のベトナム体験

川村 湊(かわむら・みなと、文芸評論家)

日本の現代作家で、ベトナム戦争が、その文学的な画期的な意味を有したと思われる作家として、開高健、日野啓三、近藤紘一の三人がいる。彼らは、ベトナム戦争の体験がなければ、作家となっていなかったかもしれない。しかし、そうした戦争の体験だけではなく、日本の文学者とベトナムとの邂逅はそれまでになかったわけではない。小松清などの例である。ベトナム戦争以前、以降の日本人のベトナムとの関わりを検証する。
 
———-
春季大会の出版社出店について
当日、出店を希望される出版社の方、および、雑誌等の研究成果の販売・配布などをしたい方は、事前にお葉書で下記にお申込みください。
〒101-0064 千代田区猿楽町2-2-3笠間書院内 昭和文学会会務委員長・和田博文宛

2017(平成29)年度 昭和文学会 第60回研究集会

2017(平成29)年度 昭和文学会 第60回研究集会

日時 5月13日(土)午後1時30分より

会場 実践女子大学 渋谷キャンパス 創立120周年記念館 403教室
(〒150-8538 東京都渋谷区東1-1-49)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

特集 〈現物〉を触る、読む―― デジタル時代における〈資料〉の価値 ――
【研究発表】
小林秀雄『実朝』論——文献の位相——

多田 蔵人

複数のアーカイヴから立ち上がる〝芥川龍之介〟 ——学生時代と最晩年を事例に——

小澤 純

物としての〈資料〉が語ること  ——大西巨人・横溝正史旧蔵資料の調査から——

山口 直孝

【全体討論】

司会 和泉 司・掛野 剛史

※ 終了後、創立120周年記念館九階カフェテリアにて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。

【企画趣旨】
資料のデジタル化とインターネットのブロードバンド化によって、文献資料の探索・閲覧の利便性は著しく向上した。入手や閲覧が困難であった資料がデジタル資料、あるいはインターネット配信などによって利用できるようになっている。国会図書館のデジタルコレクションや論文検索・閲覧サイトのCiNiiなどはその代表的なものであろうし、出版社においても、新聞各社のweb上でのバックナンバー閲覧・検索機能や、丸善雄松堂の「オンライン版三田文学」など、従来膨大な物理的量で書庫を圧迫していた資料体をPCがあればどこでも閲覧できるようにしたことの意義は非常に大きい。
今やデジタル資料の存在なしでの研究は不可能であり、デジタル時代以前に戻ることはもはやできない。だからこそデジタルの限界、問題点に自覚的になる必要があるだろう。
デジタル化は資料の物理量をほぼゼロに出来る点で画期的だが、資料体の独自性が犠牲になる場合もある。近代以降の文学資料に限っても、一つのテクストの単行本に、複数のバージョンが存在するが、デジタル資料はそれらすべてをカバーしているとはいえない。
また、国会図書館所蔵の書籍がデジタル化され広く公開される状況が生まれているが(しかしここには様々な制約があり、公開状況が十分とは言えないという問題もある)、国会図書館所蔵本は、同時代の流布本と必ずしも一致しない。このような国会図書館所蔵本がデジタル化され公開されることによって、流布本の存在やその研究可能性が失われる危険もはらんでいる。このような問題を超えるためにも、資料の物理的原本を探索・収集し内容を比較していく作業が不可欠である。
しかしこれらの問題点は研究者の間で必ずしも広く共有されていないようにも思える。またそうした問題点は研究としてどう接続し、どのような文脈に置かれるのか。そもそもデジタルではカバーできない研究、〈現物〉を見なくては成立しない研究にはどのような可能性があるだろうか。
デジタル資料の存在が当然となってから研究を始めた世代も現れるようになっている今こそ、その問題点を踏まえて、〈現物〉の意義を考える機会をもちたい。

【発表要旨】
小林秀雄『実朝』論——文献の位相——

多田 蔵人(ただ・くらひと、鹿児島大学)

資料の価値を考えるための事例として、小林秀雄『実朝』を読み、昭和10年代における「書物」の役割を探る。大正末からの出版行為の活発化は、書物への視線の変容を招来した。書誌学、文献学、愛書趣味等の書物論がそれぞれ隆盛を見るなか、たとえば古典籍について、書物と本文の存在様態が改めて関心を集めてゆくのである。
ところどころに文献学や書誌学への否定的な言葉を書き込んでいる小林秀雄『無常といふ事』は、これらの書物論を媒介としつつ、独自の書物の眺め方を示そうとした試みである。とりわけ『実朝』は、当時文献学上の論争テーマであった『金槐和歌集』を論じている点、また小林における書物論と美術批評との関係を示す点でも、重要な章であると言える。
当時の書物論を読むことは、たとえば古典回帰の流れにおける論者の歴史論、あるいは国家論の基層を抽出することに繋がる。まずは『金槐和歌集』をめぐる〈現物〉を徹底的に集めるところから、この課題に接近してみたいと思う。

複数のアーカイヴから立ち上がる〝芥川龍之介〟 ——学生時代と最晩年を事例に——

小澤 純(おざわ・じゅん、慶應義塾志木高等学校)

芥川龍之介は、その〝遺物〟の収蔵と公開に恵まれ続けてきた作家の一人である。2017年においても、日本近代文学館の館報(3月15日発行)によれば「一塊の土」原稿が収められ、また山梨県立文学館で1月から始まった「新収蔵品展」では菅虎雄宛と真木珧宛書簡が披露された。岩波の新版全集(1995~98)は、芥川家からの寄贈等を礎にした前者と古書店主・岩森亀一のコレクション等を基にした後者、また芥川の甥・葛巻義敏の関係資料も収める藤沢市文書館等、各施設に分散した肉筆資料を参照して編纂、2008年の二次刊行時に補訂されている。ただ、例えば山梨の『芥川龍之介資料集』図版と比較すれば、編集方針から外れたものや省略等があり、更新される目録や紀要等を参考に、各施設へと足を運んで初めて詳細が明らかになる〝現物〟も存在する。近年では、種々のデジタル・コンテンツが充実し、『芥川龍之介ハンドブック』には資料の所蔵先情報が纏められ、個人蔵を含む翻刻作業と分析が進みつつある。本発表では、複数のアーカイヴを調査することで、主に「羅生門」を中心とした学生時代と「河童」「歯車」を軸とした最晩年の諸テクストを読み直す端緒を開きたい。

物としての〈資料〉が語ること  ——大西巨人・横溝正史旧蔵資料の調査から——

山口 直孝(やまぐち・ただよし、二松學舍大学)

縁あって大西巨人・横溝正史の旧蔵資料の整理・調査に携わっている。手探りで作業を進めてきた体験から、物としての〈資料〉が持つ意義を提示してみたい。
旧蔵資料の核の一つに蔵書がある。巨人・正史とも取材をしない作家であり、書物から題材や着想を得ていたが、読書の範囲は判然としない。記憶力のよい二人は、ノートやメモを作らず、本に付箋をしたり、線を引いたりすることも稀である。目を通したものと未読のものとの見極めに迷わされるが、書籍の状態が手がかりとなる場合がある。本の感触は、二次元の画像からはこぼれ落ちてしまう。
〈資料〉の範囲が定まれば、デジタル画像での保存が可能であるが、その前に、どこまでを〈資料〉として扱うか、判断がなされなければならない。作家の生活と結びついていた膨大な点数の〈資料〉の選別には、繊細な感覚が求められる。作家が所有し、活動していた執筆の空間に対する意識を手放さないことが大切な要件となろう。

———-
2017年度 昭和文学会の集会・企画は以下の予定です。

6月10日(土)春季大会(日本大学文理学部)
【特集】冷戦期の余白を埋める——ベトナム戦争を視座として