2025(令和7)年度 昭和文学会 春季大会の詳細
※「ZOOMウェビナー」によるリモート参加には事前登録が必要です。
オンラインでの事前登録は6月7日(土)ごろ受付を開始します。
日時 2025年6月14日(土)12:30~17:00
会場 東京都立大学 南大沢キャンパス 1号館230教室
アクセスについてはこちらをご参照ください。
特集 「シティ・ポップ」の時代の文学
※企画趣旨についてはこちらからご確認ください。
【開会の辞】
大杉重男(東京都立大学大学院人文科学研究科文化関係論専攻教授)
【研究発表】
一九八〇年代ライトバース短歌の都市(シティ)表象
瀬口 真司(立教大学・院)
【基調報告】
虚構的な「シティ」のポップ——小説を読むことと音楽を聴くこととのあいだ——
広瀬 正浩(椙山女学園大学)
「シティ・ポップ」ムーブメントに潜む表現文化の力学——山下達郎を中心に
水川 敬章(神奈川大学)
司会 青木 怜依奈・栗原 悠・山路 敦史
【基調講演】
「シティ・ポップ」の時代の文学は在日米軍をどう描いたか
但馬 みほ(特定非営利活動法人 全国語学教育学会、他)
【シンポジウム】
司会 佐藤元紀・德本善彦
【閉会の辞】
代表幹事 金子明雄
【総会】
17:00~
※閉会後、学内において懇親会を設ける予定です。
【講演者紹介】
但馬 みほ
特定非営利活動法人 全国語学教育学会(職員)および Review of Japanese Culture and Society誌(編集者)。比較文化博士。著書に『アメリカをまなざす娘たち 水村美苗、石内都、山田詠美における越境と言葉の獲得』(小鳥遊書房、2022)。共著に『現代女性文学論』(翰林書房、2024)など。共訳書にスザンヌ・レオナード『21世紀の結婚ビジネスーアメリカメディア文化と「妻業」』(三一書房、2024)など。
【要旨】
一九八〇年代ライトバース短歌の都市(シティ)表象
瀬口 真司(セグチ・マサシ)
本発表はライトバース短歌を対象に、文学と1980年代後半における〈都市(シティ)〉的なものとの関係を探る。
短歌史においてライトバースとは、1980年代の半ばから後半にかけて短歌の世界に登場した歌人たちの、風俗的、口語的、広告コピー的、非伝統的文体の作風に対して付された総称である。そこには、豊かな消費社会を背負いつつ登場した歌人たちの共通の基盤として、同時代他ジャンルとも通う〈都市(シティ)〉的なものへの志向/試行が存在していたのではないだろうか。
本発表は、1987年刊行の俵万智『サラダ記念日』、加藤治郎『サニー・サイド・アップ』を中心に、ライトバース短歌がいかに同時代のサブカルチャーを摂取し、都市風俗を歌っていたのかを分析する。なかでもシティ・ポップが、きらびやかなサウンドに抽象的な都市生活の抒情性を織り込みながら、等身大のように見せかけつつ、理想化された生活を歌っていることを確認しながら、短歌における〈都市(シティ)〉表象の様態を探る。
虚構的な「シティ」のポップ——小説を読むことと音楽を聴くこととのあいだ——
広瀬 正浩(ヒロセ・マサヒロ)
過去の音源を現代的な感性で楽しもうとする一連の「シティ・ポップ」のムーブメントは、音楽聴取の経験に留まるものではないようだ。平中悠一編『シティポップ短篇集』(2024年)が「シティポップと同時代的な性格を持つ日本の短篇小説集」として編まれたように、「同時代的な性格」として見いだしうる何かが、文学や音楽といったジャンルの境界を越えて存在することを確認しようとする態度が、散見される。しかし、「小説を読むこと」と「音楽を聴くこと」という二つの営為の違いを軽視することはできない。「シティ・ポップ」の包摂性(文学も音楽も、という)を認める前に、考察すべき問題がある。読者あるいはリスナーは、その「シティ・ポップ」をめぐる各々の経験において、どのように「シティ」を生きていくことになるのか。「シティ」に没入することになるのか。これらの点を考察することで、「シティ・ポップ」の包摂性を検証する。
「シティ・ポップ」ムーブメントに潜む表現文化の力学——山下達郎を中心に
水川 敬章(ミズカワ・ヒロフミ)
趣旨文のとおり、一九七〇年代〜八〇年代を「「シティ・ポップ」の時代」とするのは定石である。しかし、「シティ・ポップ」ムーブメントが起きた二〇一〇年代中頃から現在までを、その第一義とする理解も重要である。日本国内の音楽産業/市場に忘れ去られた音楽がリバイバルしたのみならず、大量消費されることのなかった音楽がネットを介して(国内外の市場に)現勢化したのであるから。この状況に応接した山下達郎(シティ・ポップの中心的音楽家)は、その心情を「ストレンジ」と語る。本報告では、そのこころ/批評的展開の鍵をリバイバル——F・ジェイムソンのお馴染みの理論「ノスタルジア・モード」でほぼ方が付く、ポストモダニズム風味の時空間の仮象の謂でもある——ではなく、サバイバルに求める。これを起点に、山下達郎の表現の検討を通じて、シティ・ポップに潜む問題の特異点の一部を括り出し、文化受容の力学にも目配せをしながら議論を行いたい。
「シティ・ポップ」の時代の文学は在日米軍をどう描いたか
但馬 みほ(タジマ・ミホ)
言葉から喚起される都会的でかろやかな印象とはうらはらに、「シティ・ポップ」には在日米軍の強い影響が認められる。「シティ・ポップ」を生み出したアーティストたちが、1970年代に東京と近郊の「アメリカンハウス」を拠点として活動を始めたことはよく知られている。そもそもそれ以前から、日本の歌謡界を牽引したミュージシャンの多くは、終戦直後に進駐軍のクラブで歌と演奏の腕を磨き、キャリアをスタートさせたのだった。本講演では『スローなブギにしてくれ』(片岡義男)、『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)、『人間の証明』(森村誠一)が刊行された1976年を基点として、1981年発表の『なんとなく、クリスタル』(田中康夫)から1985年の『ベッドタイムアイズ』(山田詠美)に至るまでの10年間に注目し、神奈川県横須賀市出身である私自身の当時の記憶と比較しながら、在日米軍の存在が上記小説の中でどのように表象され消費されたのかを読み取りたい。