【報告】昭和文学会第12回中原中也の会研究集会

特集 中原中也への新たなまなざし

  • 講演 中原中也と戦争福島 泰樹

 シンポジウム モダニズムと中原中也(司会 阿毛久芳・疋田雅昭)

     
1、中原中也とダダイズム

      
澤 正宏

    
2、中原中也における「近代(モダン)

      
中原 豊

    
3、中也からのまなざし/中也へのまなざし

      
米村みゆき

  • 閉会の辞代表幹事 栗原 敦

[駒沢女子大学のアクセス](別ウインドウで駒沢女子大学のサイトへリンクします)

発表要旨

中原中也とダダイズム

澤 正宏

 この度のシンポジウムは「モダニズムと中也」というタイトルであるが、詩の表現における「モダニズム」の意味を広くとらえた場合、中原中也の詩にはどのような特徴が見出されるのかといった問題は、中原中也の詩と一九二〇年代から三〇年代にかけて始まった、主に表現の変革を求めた日本の現代詩との関わりを明確にするために重要であり続けるだろう。私にはこの問題は大きすぎるので、今回は、中原中也とダダイズムの関係を報告することにしたい。

よく知られているように、中原中也は一六歳であった一九二三年に高橋新吉の詩集『ダダイスト新吉の詩』と出会い、ダダイズムの詩を書くようになっているが、中原中也が高橋新吉をとおして語っているダダイズム理解はどのようなものであったのかといった論点を皮切りに、ダダイズムをとおして中原中也の詩が読めればと考えている。                                                    (福島大学)

中原中也における「近代(モダン)」

中原 豊

大正末期にダダイズムと象徴主義の影響を受けて詩人として出発した中原中也にとって「近代」とは何であったのか。それはまず初期の評論「生と歌」に展開される、〈表現方法の考究を生命自体だと何時の間にか思込んだ〉「近代」に原初的な〈叫び〉を対置する論法に如実に現れている。一方で、「詩人座談会」において自分の詩の表現を〈古典的〉と評された中也は、風刺画家として知られるドーミエを例に挙げて〈近代的〉であると反論する。一見矛盾するようだが、そこにモダニズムに特徴的な批判精神の発露をみることができる。さらには、「詩に関する話」や日記に残された「文壇に与ふる心願の書」において、「近代」の軛を逃れる手段としてチェーホフの〈微笑〉や〈含羞み〉を挙げている点が注目される。こうした評論に加えて、詩における古典語と現代語を自在に組み合わせる語法や〈含羞〉や〈お道化〉の表現を視野に入れながら、「近代」に対する中也独自のスタンスを明らかにしてみたい。

 (中原中也記念館)

中也からのまなざし/中也へのまなざし

米村 みゆき

「宮沢賢治全集第三巻に関する諸家の回答」や未発表評論等における中原中也の宮沢賢治への言及は、夜店のゾッキ屋で購入した『春と修羅』を勧めたという大岡昇平の言を措いても、同詩集に触発された詩篇からその関心度を窺わせる。ほぼ無名のまま世を去った賢治の積極的紹介者であった草野心平は、中也の死に際した追悼文で「自分が知つてる範囲で「独自」なといふ言葉に恥じない朗読をしたのは宮沢賢治と中原中也だけである」(「文学界」(一九三七・一二)と記す。ともに短命ながら、一九九六年と二〇〇七年に生誕百年をむかえた宮沢賢治と中原中也は、作家の〝肖像〟が構築されてゆく環境について、いくつかの興味深いポジションを示している。中也は、著名度に比して作品の評価について揺れがみえる点について、たとえば、中村稔は詩壇からの断絶を指摘しつつも読者の中で主体化されてゆくことについての問いを促す(「朝日新聞」一九六二・九)。宮沢賢治をまなざす中也、そして中也をまなざす言説をめぐって、追悼記事などの初期受容に着目しながら、その視線や作家表象についての視座を追究したい。(甲南女子大学)

講演者紹介 福島 泰樹(歌人)
 一九四三年、東京都生まれ。一九七〇年より短歌朗読ステージを開始、「短歌絶叫コンサート」という新たなジャンルを創出。一九九九年、歌集『茫漠山日誌』(洋々社)により第四回若山牧水賞受賞。『中原中也 帝都慕情』(NHK出版)、『誰も語らなかった中原中也』(PHP新書)等著書多数。