2013(平成25)年度 昭和文学会 春季大会【特集:〈文学裁判〉という磁場】

会場 明治大学 駿河台キャンパス リバティタワー1階 1012教室
〒101―8301 東京都千代田区神田駿河台1―1
大学代表 ℡(03)3296―4545
日時 6月8日(土)午後1時より

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特集 〈文学裁判〉という磁場

研究発表
チャタレイ裁判と戦争

鳥羽 耕史

〈猥褻〉をめぐる断層
――澁澤龍彥・野坂昭如の闘争方針――

安西 晋二

モデル小説裁判とプライヴァシーの昭和・平成史

日比 嘉高

講演
文学とわいせつ文書
――サド裁判を中心に

中村 稔

閉会の辞

代表幹事 阿毛 久芳

司会 尾形 大・小谷 瑛輔

 

※大会終了後、総会と懇親会を予定しています。なお、懇親会のご予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
講演者紹介】中村 稔

一九二七年埼玉県生。父はゾルゲ事件の予審判事を務めた裁判官。東京大学法学部卒業。詩人、弁護士。日本近代文学館名誉館長。著作権事件に多く関与し、「知財の中村」と称される。一九四四年一高に入学。一九四六年一高の校内誌『向陵時報』に詩を掲載し、中村光夫に注目される。同年、雑誌『世代』に参加。一九五〇年第一詩集『無言歌』(書肆ユリイカ)を刊行。創元社版『中原中也全集』(一九五一年)の編集に参加。一九五五年評論『宮沢賢治』(ユリイカ)を刊行。一九六一~六九年「サド裁判」で『悪徳の栄え(続)―ジュリエットの遍歴―』(現代思潮社)の訳者澁澤龍彥と発行人の弁護人を務める。一九六七年第三詩集『鵜原抄』(思潮社)にて高村光太郎賞を受賞。一九七三~九三年「智恵子抄裁判」で原告の弁護人を務める。一九七七年第四詩集『羽虫の飛ぶ風景』(青土社)にて読売文学賞を受賞。二〇〇四~一二年『私の昭和史』全五巻(青土社)を刊行。

 

発表要旨】 

チャタレイ裁判と戦争
鳥羽 耕史

伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』は、幾重にも戦争と抑圧の影をまとっている。戦前に出版された削除版でさえ、傷痍軍人の妻の姦通というテーマ自体は大きなインパクトを持っていたため、危険を考えた伊藤は戦時中の再版の申し出に応じなかったという。言論の自由を保障した新憲法の下、小山書店から出版された完全版は、しかし朝鮮戦争の開戦と同時に起訴され、その休戦協定までの間に、小山のみ有罪の第一審判決と、両者有罪の第二審判決を受けることになった。その起訴にあたっては出版物風紀委員会という短期間のみ存在した組織が役割を果たし、公判の過程ではGHQ書簡を証拠採用するかどうかが大きな争点となった。こうした問題については、近年、国内外の研究において、新たな照明が当てられるようになってきている。ここでは、そうした動向を踏まえた上で、この裁判を戦争との関係から捉え直し、再考してみたい。

(早稲田大学文学学術院教授)

 

〈猥褻〉をめぐる断層――澁澤龍・野坂昭如の闘争方針――
安西 晋二

サド裁判係争時、言論・表現の自由や文学作品の芸術的社会的価値を主張する弁護団と、〈猥褻〉自体の主観性を問う澁澤龍彥との間には思想的な隔たりがあった。また、四畳半襖の下張裁判の直前に行われた、澁澤と野坂昭如との対談でも、裁判における言論・表現の自由の主張が批判的に捉えられ、それとは異なる闘争方針が語り合われている。ここには、刑法一七五条によって定められた〈猥褻〉概念、あるいは〈猥褻〉という概念自体をどのように受け止め、批評するかといった問題が胚胎している。このような〈猥褻〉概念をめぐる文学裁判の影響は、両者の創作においていかなる形で結実したのか。そこから見えてくる作家としての姿勢は、文学裁判が背負わされる構図やメディアによって流布される被告としての役割とは、必ずしも一致してはいない。それを、澁澤龍彥・野坂昭如の対談をはじめ、裁判と平行して発表された彼らのエッセイや小説を手がかりにあらためて検討したい。

 (國學院大學兼任講師)

 

モデル小説裁判とプライヴァシーの昭和・平成史
日比 嘉高

文学と司法の交点の一つであるいわゆる「文学裁判」を、法権力が文学を抑圧し、文学がそれに抵抗(あるいは逃走)する、というような図式で捉えることからは、抑制的であろうと思う。そうではなく、裁判という場を、文学者、文学の表現、文学的慣習、法律、法律家、法的慣習、ジャーナリズム、原告・被告の意志、「社会の常識」などといったさまざまな要因がからみあい、葛藤し合う空間として考えよう。とすれば、昭和・平成におけるさまざまな「文学裁判」の連鎖から見えてくるのは、文学と法と「常識」をめぐる、人々の感性と文化的慣習の変化であるはずだ。この発表では、三島由紀夫「宴のあと」裁判から柳美里「石に泳ぐ魚」裁判、そしてそれ以降の状況を大きく見渡す構えを取りつつ、個別論点として一九八〇~九〇年代に争われた二つの文学作品をめぐる裁判――高橋治「名もなき道を」、清水一行「捜査一課長」――を取り上げる。(なお「宴のあと」「石に泳ぐ魚」については既発表の論考があることをお断りする。)

(名古屋大学大学院准教授)