2023(令和5)年度 昭和文学会 第72回研究集会の詳細
*本大会は、対面を主とするハイフレックス方式(講演、研究発表は対面会場(立正大学)で行い、感染拡大防止の観点から、視聴者は対面またはリモートで参加する)での開催を予定しております。また感染の拡大状況により、対面での開催が困難となりました場合は、オンラインのみの開催となります。
日時 5月13日(土) 13:30~17:30
対面会場 立正大学品川キャンパス一一号館五階一一五一教室
(〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16)
オンライン 「ZOOMウェビナー」による中継。リモート参加には事前登録が必要です。
※大会概要、アクセスなどはこちらを、オンラインでの事前登録についてはこちらをご参照ください。
特集 雑誌の「危機」と文学
【基調講演】
読者はどこにいるのか?――この時代に「雑誌」を創刊するということ――
尾形 龍太郎
【研究発表】
表現手段としての「雑誌」――個人雑誌・同人雑誌・商業雑誌――
紅野 謙介
慰問雑誌の前線/銃後――海軍向け雑誌『戦線文庫』の掲載小説をめぐって――
中野 綾子
投機としての出版――戦後出版と文潮社――
掛野 剛史
【全体討議】
司会 杉山 欣也・茂木 謙之介
閉会の辞
佐藤 秀明(代表幹事)
※閉会後、飲食を伴わない懇談の場を設ける予定です。
【企画趣旨】
本企画では、「危機」の時代を迎えているとされる雑誌と、文学との関係を考え直してみたい。
現在、雑誌媒体が販売部数その他の点で危機的状況にあることは各誌の休刊や各種統計の示す通りだ。そして日本近現代文学は雑誌を発表媒体として、いわば依存して成長してきた。とすればこの「危機」は文学の危機とも言える。これまでも雑誌、そして文学の危機は国家統制や経済恐慌、そして戦争などさまざまな事象に伴って生じてきた。一方で、ウェブマガジン、あるいはコミケや文学フリマといった機会に接すると、今後も雑誌や文学は形状や流通経路を変えて延命していくようにも思える。
そのような状況を踏まえ、本企画では新雑誌「スピン/spin 」編集人である尾形龍太郎氏に基調講演をお願いした。尾形氏は「スピン/spin 」において紙のよさ、紙の読書の魅力を強く打ち出してこの状況に一石を投じており、雑誌制作の現場からの興味深いお考えを伺えるだろう。
さらにメディアと文学の関係を考察してきた研究者の発表を通して、過去の「危機」から現在どのようなことを学べるか、考えてみたい。安易に「危機」を語ることには慎重であるべきだが、過去のある雑誌を研究対象としたときに、後世に生きる私たちがそこに「危機」を見出すことは十分にあり得る。これによって、現在の雑誌と文学の関係を考え直す端緒としたい。
【講演者紹介】
尾形 龍太郎(おがた・りゅうたろう)
河出書房新社「スピン/spin 」編集人。一九七五年生まれ。四八歳。早稲大学教育学部国語国文学科卒業。九八年四月、株式会社河出書房新社に入社。営業部を経て九九年六月より編集部へ異動。同年より雑誌「文藝」編集部に所属(二〇一四年六月~二〇一八年末まで編集長)。二〇一九年に書籍全般の編集部に異動。書籍全般の編集(単行本・文庫・新書)をしながら新雑誌の企画立案を進める。二〇二二年九月、オールジャンルの新雑誌「スピン/spin」を創刊。現在同雑誌の編集人。近年の担当書籍に、柳美里『JR上野駅公園口』(全米図書賞・翻訳文学部門受賞)、川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(読売文学賞・小説賞受賞)がある。
【研究発表要旨】
表現手段としての「雑誌」――個人雑誌・同人雑誌・商業雑誌――
紅野 謙介(こうの・けんすけ)
雑誌研究には十分、これまで研究の蓄積もあるし、今もなお多くの研究者がチャレンジしている。屋上に屋を重ねることになるかもしれないが、思いきって個人雑誌のことから考えてみようと思う。一九一〇年代に活字印刷のコストが一般の手にも届くようになったとき、単独で定期刊行物を出そうとした一群の人たちがいた。小松隆二氏の著書『日本労働組合論事始』(論創社、2018年)で貴重な資料が紹介されている。そのなかに高田集蔵や中里介山、宮崎安右衛門、西川文子らがいた。こうした個人雑誌の発行という現象はいったい何を意味するのか。そして同じ時期は同人雑誌の時代でもある。『白樺』や『奇蹟』『屋上庭園』といった同人雑誌も多くの文学者たちの培養基となった。出版社の発行する雑誌は文芸雑誌にせよ、のちに総合雑誌といわれる雑誌にせよ、商業雑誌と分類されるが、こうした雑誌群の相互に錯雑し、分岐するところとその歴史的な意味を考えてみたい。(日本大学元教授)
慰問雑誌の前線/銃後――海軍向け雑誌『戦線文庫』の掲載小説をめぐって――
中野 綾子(なかの・あやこ)
海軍の要請により興亜日本社(戦線文庫編纂所)の編集によって刊行された兵士向け慰問雑誌である『戦線文庫』には、兵士向けの「前線版(戦地版)」と「銃後版(銃後読物)」の二種類がある。この二種類のうち、「前線版」は非売品で主に中国大陸等の戦地で兵士に配布され、「銃後版」は一般書店で販売されたという違いがある。海軍外郭団体であるくろがね会と関係がある探偵小説家が作品を寄せることも多く、「前線版」のみに吉屋信子の「娘の町」が連載されてもいる。
同じタイトルでありながらも、異なる読者層に読まれた『戦線文庫』には、果たしてどのような違いがあるのだろうか。掲載小説には重複も多いが、徐々に二誌の編集方針に違いが見られるようになる。特に「前線版」は内地の雑誌が紙不足で頁数を減らすなか、その厚さを維持してもいた。本発表では、ある意味では文学の「延命」を図ったとも考えられる慰問雑誌の分析から、「危機」の時代における前線/銃後の文学の在り方を問い直してみたい。(明治学院大学)
投機としての出版――戦後出版と文潮社――
掛野 剛史(かけの・たけし)
一九四六年五月、「出版といふ仕事を単に事業的野心だけでは行ふ事は私共が最も忌みきらふことであつて、よい本をつくるといふ事が全目的でなくてはなりませぬ。そうすれば事業としても自然に成功するのだと思ひます。」と宣言して文潮社を創業したのは、三五歳の池澤丈雄だった。華々しく出版活動を展開し、「文潮選書」「名作現代文学」「名作大衆文学」といったシリーズや自叙伝全集といった企画を次々に送り出し、雑誌も『季刊文潮』『大衆文潮』の二誌を刊行したが、約三年間でその活動の幕を閉じることになった。若き日の水上勉がかかわった出版社として、今ではわずかにその名前をとどめる文潮社だが、池澤は後に大衆文学作家となり、著書『文豪のおごり』(大陸書房、一九八三年)の中でその顛末を回想している。大志を抱いた一人の文学青年の挫折の軌跡を跡付け、敗戦直後の出版、雑誌出版の意味を、戦後出版文化の中で考察してみたい。(武蔵野大学)