2016(平成28)年度 秋季大会
2016(平成28)年度 昭和文学会 秋季大会
特集 詩学的批評の時代――1950~1970年代の言語論/国家論を再考する
日時 11月12日(土)午後1時より
会場 鶴見大学 1号館 5階 501教室
(〒230-8501 横浜市鶴見区鶴見2-1-3)
開会の辞
【研究発表】
詩的言語と国家の原理――雑誌『無名鬼』『磁場』とその周辺
初期吉本隆明の文芸批評と共同体の理論
【講演】
吉本隆明の詩と〈罪〉の問題
【シンポジウム】
閉会の辞
※終了後、記念館学生食堂にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
【企画趣旨】
本企画のねらいは、1950年代から70年代にかけてとりわけ詩の批評のなかで行われた、言語や日本語をめぐる考察に焦点を当てることである。
日本の文芸批評史において1980年代が一つの転換点をなすことは、論を俟たないだろう。記号論的な言語観が理論的な広がりを見せ、柄谷行人・蓮實重彦・三浦雅士といった批評家たちが登場して、ポスト構造主義的な言語論を展開した。とりわけ柄谷行人は『日本近代文学の起源』(1980)において、言文一致と近代日本語の成立を基点とした新たな国家論の枠組みを提示し、その後の国民国家論の隆盛を引き寄せることになる。しかし、これらをひと通り経た現在において、新たに言語の問題から文学の問い直しをはかるとき、鍵になるのはむしろ、「韻律」「定型」といった詩の要素に着目しつつなされた、50年代から70年代にかけての言語や日本語をめぐるさまざまな考察ではないだろうか。
例えば吉本隆明は、1960年に連載を開始する『言語にとって美とはなにか』で時枝誠記・三浦つとむら国語学・言語学の議論を参照し、「自己表出」と「指示表出」という言語を構成する二概念を提示するとともに、日本語の初源に立ち戻ろうとした。その試みはやがて『初期歌謡論』(1977)へと結実することになる。さらにこの時代には、月村敏行・梶木剛らの批評、黒田喜夫・菅谷規矩雄・入沢康夫・北川透・大岡信らの詩論、岡井隆・金子兜太らの歌論・俳論など、方向性はさまざまだが主に詩に依拠しつつ言語や日本語を問題にするユニークな論考が数多く存在していた。詩的言語論と言うべきそれらの議論は、言語を通じて国家や共同体を問い直すものでもあり、その意味において70年代の日本文化論の流行とも接続するものであった。
しかし、これらの批評的言説は、80年代以降の言語論・国民国家論を一面では用意するものであったにもかかわらず、80年代の批評によって過去のものとされ、近年の批評の文脈においてもほとんど言及されることがない。本企画では、1950年代から70年代にかけてなされたそれらの言語や日本語をめぐる考察を「詩学的批評」と名付け、国家論・文化論も視野に入れつつ、その現在的な意義を再考したい。
【講演者略歴】
瀬尾 育生(せお・いくお)
1948年、愛知県生まれ。東京大学文学部独語独文学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科独語独文学科修士課程修了。首都大学東京都市教養学部教授などを経て、現在、首都大学東京都市教養学部名誉教授。詩人、ドイツ文学者。詩集に『ハイリリー・ハイロー』、『DEEP PURPLE』(第26回高見順賞)、『アンユナイテッド・ネイションズ』など、著書に『文字所有者たち 詩、あるいは言葉の外出』、『われわれ自身である寓意 詩は死んだ、詩作せよ』、『戦争詩論 1910-1945』(第15回やまなし文学賞)、『詩的間伐 対話2002‐2009』(稲川方人との共著、第1回鮎川信夫賞)、『純粋言語論』、『吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち』など多数。
【発表要旨】
詩的言語と国家の原理――雑誌『無名鬼』『磁場』とその周辺
吉本隆明「詩とはなにか」(1961年)は、のちの大著『言語にとって美とはなにか』や『共同幻想論』のエスキースとなった評論と目される。そこで吉本は、折口信夫「国文学の発生」が提示した詩の信仰起源説をいわば脱魔術化し、詩の発生を、「人間の社会における存在の仕方の本質」と相関的な「意識の自己表出」に求める理路を用意した。
国家が自己を社会的に疎外する装置であるとすれば、吉本は、それと逆立することなしにはありえない位相に詩を見出している。後続の批評家たちの多くは、同時代における「革命」という実践的課題と不可分な原理として、吉本のポエティクスを継承した。本発表では、吉本の雑誌『試行』から分岐した『無名鬼』『磁場』の村上一郎・桶谷秀昭、『あんかるわ』の北川透や、これらに参加した月村敏行・菅谷規矩雄・芹沢俊介らの動向に注目し、吉本を中心に一個のシューレを形成した彼らの詩学的批評が詩と国家の関係をいかに原理化したかを概観したい。
初期吉本隆明の文芸批評と共同体の理論
磯田光一『吉本隆明論』(1971)は、三島由紀夫という「陰画」を用いることで、1960年代に結実した吉本隆明のアイロニカルな共同体論に対して、整理の行き届いた見取り図を提供した。そこで磯田が吉本との共有を主張する「「普遍ロマンチシズム」の破却」というテーマは、より広くこの時代の批評的な主題としてとらえることがむしろ適切であろう。そして、そうした身振りにもかかわらず文学の領域を共同体(論)の外部に確保しようとする磯田とはことなり、少なくとも60年代までの吉本は、そうした「相対性」を拒絶する文学に深い関心を向けていた。
本発表においては、こうした60年代吉本文芸批評の特質を、近接する位置にいたと思われる桶谷秀昭ら同時代の文芸批評との比較も念頭におきつつ再検討する。その手がかりとして、宮澤賢治、高村光太郎を論じる中で形作られた吉本の文学観が、北村透谷を中心にした明治浪漫主義への論及においてどのように展開されたのかに注目してみたい。
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