【報告】昭和文学会第48回研究集会

  • 日時 2011年5月14日(土) 午後2時より
  • 会場 青山学院大学 総研ビル(第十四号館)11階 第十九会議室 *昭和文学会会員以外の方でも、無料・申込不要にて参加できます。
  • 研究発表(司会 黒岩裕市・ 山田昭子)長野まゆみ論――女性読者との共同性を手がかりに―― 井内 美由起女性たちの読む三島由紀夫文学―昭和三〇年代の連載小説を中心に― 武内 佳代尾崎翠と女性文学のモダニズム 川崎 賢子
  • 懇親会
    ※ 研究集会終了後、学外にて懇親会を予定しておりますので、皆様ふるってご参加下さい。

報告要旨

長野まゆみ論――女性読者との共同性を手がかりに――

井内 美由起

本発表では、長野まゆみ『テレヴィジョン・シティ』(一九九二)『カンパネルラ』(一九九三)『超少年』(一九九九)を中心に、これらの作品から読みとれるテーマや問題意識を、女性読者との共同性という視点から検討したい。長野の読者はほとんどが女性である。長野はファンクラブを持ち、作品のモチーフをグッズにして売る、自ら装画やイラストレーションを手がけるなど、様々な方法で読者とのつながり、および読者同士のつながりを演出してきた。また、先行研究において指摘されているように、長野の作品には少女マンガからの影響や、いわゆる「やおいカルチャー」との関連など、現代の女性文化との共通点が多く見られる。これらのことから、「女性同士の文学」という今回の特集に新しい視点を提供することが本発表のねらいである。美術大学の出身であり、デザイナーを経て作家になった長野にとって、小説を書くことと絵を描くことは同じ目的を持つようである。作者自身による装画はこれまで出版された本の半数を占め、装画と文章は密接な関連を持っている。また、先に挙げた三作は、絵画やテレヴィジョンのモチーフが作品内において重要な意味を持つばかりでなく、作品と読者の関係の隠喩としても機能している。これらのモチーフを読み解くことによって、女にとっての書く/読むことの意味を浮かび上がらせてみたい。 (早稲田大学大学院生)

女性たちの読む三島由紀夫文学――昭和三〇年代の連載小説を中心に――

武内 佳代

終戦後、早くも女性誌が主婦向けを中心に相次いで復刊、創刊されていた頃、三島由紀夫は川端康成の推挙を得て短篇「煙草」(四六年)で戦後文壇に名乗りをあげた。だが『仮面の告白』(四九年)で出世するまでにまだ三年をまつ。その間、三島は一九四七年の『婦人画報』での掲載を皮切りに、四八年には『令女界』『マドモアゼル』『婦人』『婦人文庫』『婦人公論』、翌年には『女性改造』というふうに、様々な女性誌に作品を発表している。さらに一九五〇年、自身の初めての連載小説『純白の夜』を『婦人公論』で連載すると、六六年までに合計一一本もの小説連載を各女性誌に持っていく。つまり三島は戦後出発期から晩年の『豊饒の海』の連載時期にいたるまで、女性読者向けに創作活動をし続けていたのである。しかし管見の限り、従来三島由紀夫文学といえば、男性読者を中心とした文芸誌や総合雑誌に掲載された作品ばかりが評価、研究の対象とされ、そのような女性読者向けの作品にはほとんど目が向けられてこなかったように思われる。そこで本発表では、流行語を生みだした『永すぎた春』(五六年)をはじめとする昭和三〇年代の女性誌を飾った三島文学作品、換言すれば、昭和三〇年代の女性たちが共有した三島文学作品を中心に取りあげ、改めて考察を試みる。それらの作品と、同時代的な女性問題やジェンダー規範との関連などを検討することで、女性読者に向けられた三島文学の戦略性や批評性を明らかにしてみたい。 (文教大学) 

尾崎翠と女性文学のモダニズム

川崎 賢子

尾崎翠テクストにおいて、女性性は自明のものではない。たとえば「第七官界彷徨」(一九三一)における(植物の)生殖、遺伝、進化論、精神分析学の言説にしても、性を生得的なものとして自然に還元するよりは、性言説における人間中心主義を攪乱させるものだ。「第七官界彷徨」とゆるやかに連なるテクスト群において、読者は、ジェンダーおよびセクシュアリティの位相における女性性/男性性の境界の揺らぎや、女性性の周縁領域の拡張や、性別役割の交換・反転が、物語を展開する装置として機能することをみとめずにはいられない。尾崎翠テクストは、その女性性の表象と言説とを分析するものに、およそ女性的なるものに対する懐疑と批評性を失わず、複数性としての女性性という前提を意識することを要請する。したがって、女同士という組み合わせの意味するところも、男性性/女性性の二項対立図式でのみ解読されるのでは足りない。一方、後年の解読の枠組みにとらわれた読者からは見逃されがちであるが、尾崎翠テクストの言説と表象は、いわゆる昭和モダニズム期の表現においてかならずしも孤立したものではなかった。それを念頭に置かなければ、尾崎翠(一八九六‐一九七一)の歴史的位置づけや相対化はむつかしい。本発表においては、尾崎翠テクストにおける女性性の複数性について、「妹」「娘」「孫娘」「母」「祖母」「女友だち」「読み書きする女」等にあたりながら、表現の水脈のなかで彼女たちの場所を探りたい。  (日本映画大学)