第53回 昭和文学会 研究集会

2013(平成25)年度
第53回 昭和文学会 研究集会

会場 専修大学 神田キャンパス 7号館 3階 731教室
〒 101-1825 東京都 千代田区神田神保町3-8
日時 12月14日(土)午後2時より

 
【研究発表】
 
恐妻と貞操
――源氏鶏太「三等重役」と占領期民主化政策

服部 このみ

吉屋信子作品における〈障害者〉表象
――『安宅家の人々』と『女の年輪』を中心に

山田 昭子

非武装化後の「私」
――島尾敏雄「その夏の今は」論――

安達原 達晴

司会 服部 訓和・原 貴子
 

※ 研究集会終了後、懇親会を予定しております。会場の専修大学のご協力で構内に場所を設置し、気軽に参加できるかたちで開催したく思っています。ふるってご参加ください。なお、懇親会の予約は不要、当日受付にてお申し込みください。
 
【発表要旨】
 

恐妻と貞操――源氏鶏太「三等重役」と占領期民主化政策

服部 このみ

源氏鶏太「三等重役」(『サンデー毎日』1951年8月12日号~1952年4月13日号)は当時爆発的な人気を獲得し、戦後のサラリーマン小説の嚆矢となった。
この小説はサラリーマン小説として注目されることが多いが、内容を見てみると仕事の描写はほとんどなく、社員の恋愛・結婚話や社長夫婦の関係、社長の浮気未遂の話といった男女関係のエピソードに満ちている。また、主人公の桑原社長がアメリカ民主主義に影響を受けた家族観・性意識をもった人物として肯定的に描かれるなど、戦後派の夫婦観や新しい性意識がこの小説の主題の一つになっている。
本発表では、桑原社長に与えられた「恐妻家」「貞操堅固」という二つの特徴の分析と、それに関連する当時の言説・政策の点検を通して、占領下の日本においてGHQによって推し進められた民主化政策、とくに家族・夫婦観、性意識の民主化を「三等重役」が、ひいては日本社会がどのように咀嚼し、受け入れようとしたかを考えたい。
(金城学院大学大学院生)
 

吉屋信子作品における〈障害者〉表象――『安宅家の人々』と『女の年輪』を中心に

山田 昭子

吉屋信子『安宅家の人々』は戦後における吉屋の代表作と言われた作品である。その10年後の昭和36年に執筆された『女の年輪』は、吉屋が伝記的作品や歴史小説へと移行する過渡期に書かれた作品であるが、〈障害者〉である配偶者を持つ男女を登場させた点で『安宅家の人々』と共通している。本発表では作品の内包する時代背景を踏まえ、吉屋の〈障害者〉表象に着目すると同時に、『安宅家の人々』から『女の年輪』を経た吉屋のまなざしが、以降の作品にどのように受け継がれ、あるいは断たれたのかについての考察を目的とする。『安宅家の人々』と『女の年輪』における吉屋の〈障害者〉表象が戦前の作品のそれと異なる点は、〈障害者〉をめぐる性的な問題を浮上させている点にある。この二作品に至って、吉屋は『花物語』以降追及してきた〈障害者〉表象を時代の動きとリンクさせ、そのモチーフを改めて問い直していると言えよう。そのことを吉屋作品内部の問題にとどまらない事項として考察していきたい。
(専修大学大学院生)
 

非武装化後の「私」――島尾敏雄「その夏の今は」論――

安達原 達晴

「その夏の今は」は「出孤島記」「出発は遂に訪れず」に次ぐ、島尾敏雄の特攻隊体験に基づいた所謂〈三部作〉の一つとされる。既に指摘がある通り、即時待機の緊迫した状況がみえる前二作に対して、本作では敗戦直後に露わとなる特攻部隊と周辺住民の変化に困惑や不安、怖れを抱く隊長「私」の姿が綴られている。しかし、「その夏の今は」の解読をそうした「私」の受動的な心理面のみにとどめず、個人が何を拠り所として自己の存在を関係づけ、また意味づけていくのかといった大きな視座にまで拡大して試みることはできないだろうか。今回の発表では、特攻艇の解体という文字通りの非武装化を背景に進行する心理的な非武装化、さらにその後の出来事――「私」と三人の部下による口論――を経て「私」が「島にとどまるつもり」と最終的に語るまでの経緯を取り上げる。島尾の特攻隊体験をめぐる言説および〈南島〉言説の両者に占める本作の位置づけにも触れつつ、「私」が非武装化後になそうとしている選択の意味と可能性を探りたい。
(東海大学非常勤講師)