2025(令和7)年度 昭和文学会 秋季大会の詳細

※本大会は、対面・オンラインを併用したハイフレックス方式での開催を予定しております。

 
※「ZOOMウェビナー」によるリモート参加には事前登録が必要です。
オンラインでの事前登録は11月7日(金)ごろ受付を開始します。

※本大会の開催にあたり、障害者差別解消法への対応として、情報保障等の合理的配慮の提供を行います。
詳細についてはこちらからご確認ください。

 
日時 2025年11月15日(土)13:00~17:30
会場 奈良大学 C302教室
アクセスについてはこちらをご参照ください。

 

特集 「団地文学」の現在地

※企画趣旨についてはこちらからご確認ください。

 
【開会の辞】

今津節生(奈良大学学長)

 

企画趣旨説明 鈴木華織

 
【基調講演】

積み重なるゴミか歴史――団地文学史の諸問題

今井瞳良(山形県立米沢女子短期大学准教授)

司会 塩谷昌弘

 

【基調報告】

核家族時代の想像力

竹永知弘(花園大学文学部日本文学科専任講師)

司会 須賀真以子

 

【研究発表】

建造物と生活様式と――60年代初期「団地文学」を中心に――

渡部裕太(福島工業高等専門学校助教)

司会 宮澤桃子

 

「団地」の妻の物語――やまだ紫「しんきらり」と向田邦子「隣りの女」

川田亜弓(明治大学大学院国際日本学研究科博士後期課程)

司会 皆川梨花

 

【シンポジウム】

司会 塩谷昌弘・鈴木華織

 

【閉会の辞】

代表幹事 金子明雄

※閉会後、学内において懇親会を設ける予定です。

 

【講演者紹介】

今井 瞳良(イマイ・ツブラ)
山形県立米沢女子短期大学国語国文学科准教授。専門は映画研究。著書に『団地映画論――居住空間イメージの戦後史』(水声社、2021年)、論文に「『狂った一頁』が見つめる精神病――新派映画と病の政治学」(『映画研究』第19号、2024年)などがある。

 
【要旨】
 
積み重なるゴミか歴史――団地文学史の諸問題

今井 瞳良

 団地に歴史はなかった。それは戦後の住宅不足を解消するために建てられた新しい住宅だったということだけではなく、企画趣旨にあるように「仮りの住宅」であった団地は新たな歴史が紡がれていく空間でもなかったのである。とりわけ、1960-1970年代の団地文学では、後藤明生が「墓場」と呼び、安部公房が「死骸」に目を向け、古井由吉が「終の棲家」となることに抗い、遠藤周作が「砂の城」に見立てたように、団地には歴史がなく、すべてが「ゴミ」と化してしまうのではないかという懸念がつきまとっていたように思われる。ところが、日本住宅公団発足から70年が経ち、事実として団地は歴史を積み重ねた。そこで本発表では、現在から団地文学を拾い集めてみたとき、それは「団地文学史」になるのかを考えてみたい。

 
核家族時代の想像力

竹永 知弘(タケナガ・トモヒロ)

 横溝正史『白と黒』(1965)冒頭、「詩人のS・Y先生は、ある朝、散歩の途次、世にもおどろくべきものを、空のかなたに発見して、しばし唖然としてその場に立ちすくんでしまった」という一文に顕著であるとおり、「団地」はその出現以来、数多の文学者たちの目を強烈に惹きつけるアイコニックな存在であり続けてきた。本発表では、奥野健男『文学における原風景』(1972)や、前田愛『都市空間のなかの文学』(1982)などの評論を補助線としつつ、横溝正史『白と黒』や安部公房、後藤明生、古井由吉、柴崎友香などの小説作品を具体的に取り上げ、登場から70年が経過してなお、現代文学者たちの「想像力」を魅了して止まない「団地」なるものが有している喩的多面性を浮き彫りにしたい。

   
建造物と生活様式と――60年代初期「団地文学」を中心に――

渡部 裕太(ワタナベ・ユウタ)

 「団地」のイメージは大きく揺れる。最初期には華々しいライフスタイルそのものを示した「団地」の語に、老いや死、貧困のイメージがまとわりついた時期もある。一方で最近では、穏やかな地域コミュニティの存在や、居住環境の快適性が強調されることもある。これらのイメージの変化は、時代のみで規定できるものではないかもしれない。
 たとえば山川方夫「お守り」(1960年)は、まだもっとも魅力的であった時代の団地のうちに、はやくも居室の画一性が生みだす狂気をみいだし、戯画的に描きだした。団地の構造そのもののなかには、ひとびとの生活や自意識を強く規定するような、何らかの間隙があるのではないか。
 本発表では、60年代に団地を描く文学の中にあらわれた抵抗感・拒絶感について検討することからはじめたい。そのうえで、それが現在の団地文学にどのように引き継がれ、あるいは変転したのか、「「団地文学」の現在地」を考えたい。
 

「団地」の妻の物語――やまだ紫「しんきらり」と向田邦子「隣りの女」

川田 亜弓(カワダ・アユミ)

 1971年から79年まで続いた「団地妻」シリーズは、日活ロマンポルノの代名詞であるとともに、「団地」をめぐる想像力を規定した文化現象であった。
 向田邦子「隣りの女」、やまだ紫「しんきらり」は共に、「団地妻」シリーズ終了後の1981年に、こうしたイメージを踏まえた上で、まさに1980年頃の主婦を主人公として描かれた「団地」の妻の物語なのである。
 奥野健男は「原っぱ・隅っこ・洞窟の幻想」(『すばる』1971年5月、のち『文学における原風景』に収録)で、「年少者や女の子は“原っぱ”から追い出され」て、「“原っぱ”は年長の少年たちのものになって行く」とした。では、その「追い出され」た「女の子」はどのように生きていくのだろうか。本発表では、映画、小説、テレビドラマ、マンガを横断して展開された多様な「団地」の妻の物語を通じてこのことを検討し、奥野健男の論の射程のその先を考えてみたい。