【お知らせ】2012(平成24)年度 昭和文学会 秋季大会

会場 早稲田大学 早稲田キャンパス16号館 106教室
〒 169―8050 東京都新宿区西早稲田1―6―1
日時 11月17日(土)午後1時30分より

特集 「詩」と大量消費
開会の辞
早稲田大学教育学部 千葉 俊二

【講演】
庶民意識の突出
――一九六〇年代から七〇年に掛けての鈴木志郎康の詩
鈴木 志郎康

【研究発表】
反芻される「荒地」
宮崎 真素美
「言葉の喜び」
――対大衆の言語戦略、谷川と入沢を視座に
大塚 常樹
六〇年代詩と七〇年代以後のポップス詞
――渡辺武信と松本隆を中心に――
瀧田 浩

【シンポジウム】
「詩」と大量消費
ディスカッサント 佐藤 健一
司会 浅野 麗・佐藤 元紀
閉会の辞
代表幹事 阿毛 久芳
※ 大会終了後、懇親会を予定しています。

【講演者紹介】鈴木 志郎康(すずき・しろうやす)
一九三五年、東京都江東区亀戸生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。詩人、映像作家。早稲田大学在学中の一九五九年に高野民雄と詩誌「青鰐」を発行。大学卒業後の一九六一年から一九七七年までNHKに映画カメラマンとして就職しながら詩作を重ねる。一九六三年第一詩集『新生都市』(新芸術社)を刊行。翌年より天沢退二郎、渡辺武信らと詩誌「凶区」を発行し、一九六七年には第二詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』(季節社)を刊行。同詩集にて一九六八年に第一八回H氏賞を受賞。一九七一年第三詩集『家庭教訓劇怨恨猥雑篇』(思潮社)、一九七四年に第四詩集『やわらかい闇の夢』(青土社)、一九七六年第六詩集『見えない隣人』(思潮社)など毎年のように詩集を刊行、詩集24冊。一九七五年映像作品『日没の印象』から個人映画作品を作り始める。『15日間』など49作品。一九八二年阿部岩夫、藤井貞和、八木忠栄たちと月二回発行の詩誌「四」を発行し、八三年に吉増剛造、ねじめ正一たちを加えて十一人の詩誌「壱拾壱」を発行。一九九〇年多摩美術大学美術学部二部芸術学科教授に就任、二〇〇六年組織改編した造形表現学部映像演劇学科を定年退職。
近年では二〇〇一年の第二二詩集『胡桃ポインタ』(書肆山田)にて第三二回高見順賞を受賞し、二〇〇八年に第二三詩集『声の生地』(書肆山田)にて第一六回萩原朔太郎賞を受賞。また、二〇〇九年には一九五八年から一九七一年の初期詩集、未刊行詩篇をまとめた『攻勢の姿勢』(書肆山田)を刊行する。その他の著作品として小説集、評論集、ルポルタージュ、写真集などがある。

【発表要旨】
反芻される「荒地」
宮崎 真素美
敗戦後十年を経たあたりから詩作の原動力を減退させた鮎川信夫、それと入れ替わるように、『ひとりの女に』でH氏賞を受賞し、続々詩集を刊行し始める黒田三郎、その黒田と同じく六〇年代まで大手マスメディアに勤続した北村太郎と中桐雅夫。「荒地」派としての詩集・詩論シリーズを終えた彼らの高度経済成長期は、いっそう個性的である。そして、彼らのかつての語彙は、『暴走』『凶区』で六〇年安保をめぐる「死」を抽象的に描く渡辺武信、安保闘争と戦争のイメジを架橋する野沢暎らに流れ込んでもいる。『詩学』の時評を担当する一方で展開される「荒地」批判、金子光晴から谷川俊太郎にいたる詩人らの大座談会における「荒地」評価と、浮かびあがる谷川らの新たな感覚。「荒地」派はさまざまな局面で反芻され、影響を確かめられ、乗り越えられようとしている。彼らを相対化しようとする多彩な「ことば」の群れから、この期の「詩」について照らしてみたい。
(愛知県立大学日本文化学部教授)

「言葉の喜び」――対大衆の言語戦略、谷川と入沢を視座に
大塚 常樹
詩芸術には相反する二面がある。言語機能の可能性を追究すれば前衛的で難解な詩にならざるを得ず、人々との共有を追究すればやさしい表現や日常的な感受性に縛られる。この二面性を視野に入れて、本発表では、共に1931年生まれの谷川俊太郎と入沢康夫を取上げ、驚異的な経済成長を遂げて経済大国に昇り詰め、豊かな大衆社会が訪れた1960年代に、二人の取った言語戦略を検証する。『二十億光年の孤独』(1952)で戦争の影響が見られない新しい感性の担い手として登場した谷川は、個性と孤立を標榜して庶民から乖離した近現代詩を批判し、民謡や童唄などの言葉の楽しさや庶民の感覚を重視し、作詞やシナリオライター、音楽とのコラボなど、多才な活動をし、60年代後半に反戦的なフォークソングの中で好んで取上げられ、国民的な詩人となっていった。彼にとって詩の原点は皆が共有出来る「言葉の喜び」であり、考える詩より歌える詩なのだ。一方で入沢は『わが出雲・わが鎮魂』(1968)で、詩に語りを持ち込み、作者と語り手、読者を分離し、引用のモザイクというインターテクスト的構造を導入した。入沢の言語戦略も、言葉のもつ多重多層的な可能性の追究、「未確認飛行物体」としての「言葉の喜び」なのだ。
(お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授)

六〇年代詩と七〇年代以後のポップス詞――渡辺武信と松本隆を中心に――
瀧田 浩
はっぴいえんど『風街ろまん』(一九七一年)における〈風〉と〈街〉は渡辺武信の触発によって書かれえたのだろうと、松本隆は回想する。そこには渡辺が松本に送った「君とぼくは風を共有している」という一節も紹介されているが、たとえば、松本の「風をあつめて」と渡辺の「遠ざかる音たち」を読めば、世界観と感性の共振性はあきらかだろう。
風の詩人と風の作詞者は一九七〇年頃に交差している。その後、隆盛した六〇年代詩の推進者のひとり渡辺は寡作になり、松本は七〇年代以後のポップス(ロック・ニューミュージック・歌謡曲)詞作者として活躍を続けた。イデオロギーの抑圧から解き放たれたポップスは、拡散する欲望に応じて多様に大量に消費されながら、多くの都市生活者にとって自由恋愛の模範、孤独の癒し手、夢の支援者、欲望の解放者などの役割を担った。
本発表は、現代詩とポップスで異なる、受容者(読者・リスナー・オーディエンス・サークル会員・投稿者等)の問題を起点としておこなう。発信主体と受容者をつなぐメディアとの問題もからめ、これまでとは異なる角度から検討してみたい。
(二松学舎大学文学部教授)

【企画の趣旨】渡辺武信『移動祝祭日―『凶区』へ、そして『凶区』から』(二〇一〇年)をはじめ、六〇年代の詩を捉え直す仕事が積み重なりつつある現在、六〇年代の詩を研究対象とする時期が来たようにも思う。近年、谷川俊太郎は「詩はどこへ行ったのか」(二〇〇九年)において、今日の「詩」が娯楽・文化にまで拡散/瀰漫したことを、いくぶん批判的に述べた。この発言は、六〇年代に萌した「詩の拡散」が飽和状態に達した現在、あらためて言葉による表現の可能性を探ろうとしたものだろう。かつて「歌の中にも、スリラー映画の中にも、ストリップショウの中にさえ詩をすべりこませることは出来る」(「世界へ!」一九五六年)とし、「詩の拡散」を実践したはずの谷川の発言を一つの手がかりにすると、六〇年代の詩はどのようにみえるか。大量消費が言葉を押し流していくなかで「詩」の言葉がいかに変質したか、また、「歌」や「映画」に「すべりこ」んだ「詩」の言葉がいかに拡がり、いかなる可能性を持ったか。「荒地」以来の戦後詩の歴史的展開、大量消費社会の成熟を視野に入れ、「詩」の言葉を読み解く作業を通して新たな研究展望をひらきたい。
講演と各研究発表の後、ディスカッサントとして佐藤健一氏(日本大学商学部)に加わっていただき、シンポジウムを行う。会場の積極的なご参加を願いたい。
(司会)