【報告】昭和文学会2006年度秋季大会

  • 日時 2006年11月18日(土) 午後1時30分より
  • 会場 同志社大学 今出川キャンパス 至誠館(S22教室)
  • 特集「アメリカと文学」
    • 開会の辞
      同志社大学文学部部長 工藤和男
    • 研究発表(司会 安藤宏・大塩竜也)
      1. 占領下の〈学校〉と二重拘束状況 -太宰治の昭和二十一年-
        永吉寿子
      2. アメリカという宿痾 -大江健三郎『万延元年のフットボール』を視座として
        野中潤
      3. アメリカ、冷戦期日本語文学の額縁
        佐藤泉
    • 講演「私とアメリカと文学」
      小田実
    • 閉会の辞
      代表幹事 栗原敦

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発表要旨

占領下の〈学校〉と二重拘束状況 -太宰治の昭和二十一年-

永吉寿子

日本占領下において、平和主義を折り込むため拙速に進められたGHQによる教育改革は、戦後日本の教育制度に混乱と希望とをもたらした。こうした教育改革の過渡期には、東アジアにおける米国の国際戦略に対抗しうる新たな〈思想〉の出現が渇望され、その具体的表象としての〈学校〉が文学作品に描き出されることになる。
疎開先・津軽において、遠く東京にまなざしをむけていた太宰治は、占領初期の民主化政策が反共政策へ転換していく状況への透徹した認識を有しながら、精力的に作品を書き継いでいた。本発表では、「春の枯葉」の〈教師〉表象が持ちえた批判性、すなわち民主国家アメリカの普遍的言説によって生まれながら、それへの帰属意識を不断に検証し、その正当性を証し立てることを強いられた存在として、〈教師〉の存在内部に深く差し込む影の意味を明らかにすると共に、太宰治の昭和二十一年における文学的営為を、太宰の戦後民主主義観の核心をなす言語表象の形成期として意味付ける。(大阪府立大学大学院)

アメリカという宿痾 -大江健三郎『万延元年のフットボール』を視座として

野中潤

大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、万延元年(一八六○)と昭和三十五年(一九六○)に起きた「アメリカ」をめぐるいくつかの出来事が重なり合い、ねじれやきしみを孕みながら具象化されていく物語である。「アメリカと文学」というテーマに対する応答として「アメリカという宿痾」という問題を俎上にのせるとすれば、敗戦後の六十年余りの時間枠を相対化する必要があるのだが、そのための端緒となりうる格好のテクストだと言える。
しかも、日米修好通商条約の批准書を交換するために遣米使節団が咸臨丸に乗って太平洋を渡った万延元年の出来事と、日米安全保障条約をめぐって国内が騒然としていた昭和三十五年の出来事の傍らには、外部からやって来る邪悪な他者としての「チョウソカベ」や陵辱された自己の象徴たる「サルダヒコ」なども配されている。
こうした問題構成を机上に据えながら、ブッシュ大統領のような権力者によって表象=代行されたり、他国を抑圧したり蹂躙したりする主体として擬人化されるアメリカではなく、日本語を使って生きてきた「私」の内に巣くう「宿痾」としての「アメリカ」について、「文学」との関わりの中で考察するつもりである。 (聖光学院中学・高等学校)

アメリカ、冷戦期日本語文学の額縁

佐藤泉

文脈は略すが、沖縄のある知識人が日本はまともにアメリカに向き合ったことがあるのだろうか? と言っていた。日米は同盟関係にあるが、両者の関係を日本本土の人間がうまく測定できているとは、あきらかに言えない。明治期の『それから』では、主人公が「日本対西洋の関係」という枠組みを建てた。戦後思想家の江藤淳は「アメリカと私」という枠組みに依拠して発言した。しかし日本が「日本」の視点、「私」の視点からアメリカと自己との関係を問う場合、その枠組みによって締め出される〈他者〉を否認することになり、必然的にいびつで閉じた認識に陥るほかはない。日米認識以前に自己認識にさえ失敗することだろう。今回は日米関係そのものを問うのではなく、それを適切に問うための思考の通路について考察したい。50年代のアジアで起こった冷戦暴力に取材したいくつかのすぐれた文学――『客人』『幌馬車の歌』『万徳幽霊奇譚』などの力を借りることで、日米関係を理解するための通路を創出できないかと考えている。 (青山学院大学)