【報告】昭和文学会第43回研究集会
- 日時 2008年12月6日(土) 午後1時30分より
- 会場 國學院大學 渋谷キャンパス 百二十周年記念一号館2F(一二〇一教室) (PDFファイルです。)
- 講演「<空気社会>の私と文学」勝又 浩
- 研究発表(司会 安西 晋二・井原 あや)太宰治「十二月八日」試論―登場人物の造形と両義的な読みへの誘導何 資宜
夢野久作『ドグラ・マグラ』構造論―改稿過程の分析を中心に
大鷹 涼子
滝口武士論―変容する「外地」の風景
小泉 京美
- 懇親会 ※ 今回の研究集会は講演・研究発表の順で行います。なお懇親会を予定しておりますので、皆様ふるってご参加下さい。
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発表要旨
太宰治「十二月八日」試論― 登場人物の造形と両義的な読みへの誘導
何 資宜
「十二月八日」(『婦人公論』昭和十七年二月)への評価は、作家太宰治の戦時下スタンスを問う形でなされるものが多い。作家の〈迎合的姿勢〉を指摘した論説は、開戦の興奮を「生真面目に」綴った「私」に焦点を置いて考察する傾向があり、作品を「太宰の昂ぶりを素直に書きとめた戦争小説」(赤木孝之氏。傍点引用者。以下同様。)として定義する。一方、〈芸術的抵抗〉と読む論説は「不精」な「小説家」に注目し、その滑稽な言動に「戦時体制からはみ出した作家自身」(相馬正一氏)のスタンスを見出す。このように、登場人物のどちらに注目するかによって、作品への評価が変わってくることが分かる。しかし、本発表は作品から作家太宰治をいったん切り離し、物語内における「私」の人物像とその言動との矛盾、また登場した「小説家」と作家太宰治との距離を検証しつつ、「十二月八日」が抵抗とも迎合とも読まれ得る構造の究明を目的とする。(広島大学大学院)
夢野久作『ドグラ・マグラ』構造論― 改稿過程の分析を中心に
大鷹 涼子
昭和十年、書下ろし単行本として刊行された『ドグラ・マグラ』は、少なくとも大正十五年には起稿されたとみられ、長期間にわたる執筆、改稿がなされた。その間に書かれた膨大な草稿の一部(二七九八枚。福岡県立図書館杉山文庫所蔵)が現存している。本発表では久作の日記と草稿調査を元に改稿過程を追うことによって、如何なる意図をもってこの小説が構想、構築されてきたかを考えたい。『ドグラ・マグラ』は作中作が登場するという入れ子構造を持ち、〈書かれたもの〉が増殖し、内包され続けるという状態を導いている。また、物語の冒頭と結末が照応するという円環構造を持つ。何故この形が目されたのか、物語を通底する主題を検討する必要がある。『ドグラ・マグラ』では類似性を持つモチーフの反復など、主体の絶対性を保障し得ない仕掛けが施され、作中論文においては「循環」思想とも言うべきものが提示される。これら語られる主題とこの特異な物語構造の連関を検証していく。(岡山大学大学院)
滝口武士論― 変容する「外地」の風景
小泉 京美
滝口武士は1924年に満州に渡り、中国の大連で発行されていた詩誌『亜』に参加する。大連は1898年以降、帝政ロシアが南下政策の一端として租借し、港湾都市ダルニーを建設していたが、日露戦争後日本に租借権が譲渡され、太平洋戦争終戦まで日本が都市建設を行った。中国、ロシア、日本の文化が混ざり合いながら発展した大連の都市景観が、滝口の詩には反映されている。滝口は『亜』において、大連を非現実的な空間としてエキゾチシズムによって捉えている。わずかな詩語を短い詩形にモンタージュすることで都市のイメージを描出する短詩を主な方法とした。『亜』は1927年12月に終刊するが、1932年2月に滝口は諸谷司馬夫と『蝸牛』を創刊する。『亜』の終刊から『蝸牛』創刊までの間には満州事変が勃発している。日中戦争へと向う趨勢の中で「外地」の現実的な相が『蝸牛』の滝口詩にせり出してくる。本発表は『亜』から『蝸牛』に至る経緯の中で、滝口の「外地」における都市表象を考察する試みである。(東洋大学大学院)
講演者紹介 勝又 浩(かつまた ひろし)
法政大学教授、文芸評論家。一九七四年に「群像」新人文学賞評論部門を受賞。著書に『我を求めて』(講談社)、『求道と風狂』(構想社)などがある。