【報告】昭和文学会第44回研究集会

  • 日時 2009年5月9日(土) 午後1時30分より
  • 会場 二松学舎大学 九段キャンパス (401教室)
  • あまんきみこさんに聞く 書いてきたこと、書いてきた道
    (聞き手 宮川健郎)
  • 研究発表(司会 大原祐治)サブカルチャーから教育へ―― 金子みすゞ受容の変遷 ――
    藤本 恵

    あまんきみこと戦争児童文学――「ちいちゃんのかげおくり」を中心に ――

    木村 功
  • 懇親会
    ※ 懇親会を予定しておりますので、皆様ふるってご参加下さい。

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発表要旨

サブカルチャーから教育へ―― 金子みすゞ受容の変遷 ――

藤本 恵

金子みすゞの童謡詩人としての活動期間は大正一二年から昭和三年頃までで、ごく短い。しかし、断続的に紡がれるみすゞの童謡や人柄のイメージは、現在まで続くスパンと変化を持つ。まず、自殺の翌年から、西條八十がエッセイ「下関の一夜」(「ロウ人形」昭六・九)や「下関の女」(「少女倶楽部」昭一〇・九)で、「薄幸」の女性詩人としてみすゞを紹介する。その後、八十以外にもみすゞを語った人物はいるが、長年の調査の末に全集を編み、生涯を明らかにした矢崎節夫の登場後、主要なイメージは「やさしい」へ変化した。平成八年には、「私と小鳥と鈴と」等が小学校国語教科書に採られ、「みんなちがつて、みんないい」という詩句とともに、良くも悪くも現代的なイメージが定着していく。これは、童謡というジャンルの変化に対応しているようにも見える。本発表では、みすゞイメージの転換を追い、あわせて、童謡ブームの大正末期、子どもよりむしろ若者に生産、消費される新しい文化であった童謡が、教育と関わりつつ受容される現在に至る過程を検証したい。
 ※「ロウ」は環境依存文字によりカタカナにしてあります。

(都留文科大学)

あまんきみこと戦争児童文学――「ちいちゃんのかげおくり」を中心に ――

木村 功

 あまんきみこの「ちいちゃんのかげおくり」(一九八二、あかね書房)は、戦争を扱った児童文学として認知される一方、初等国語科教科書(光村・小三)に採録されている戦争文学教材でもある。
 戦争児童文学と戦争教材は、もちろん同義ではない。後者は、教室の中で展開される国語教育の中で、一人から多人数の中で育まれる児童たちの「読み」を生成する媒材として位置づけられるものである。一方児童文学作品として見た場合のあまん作品は、過去の戦争体験を伝えるものから、虚構の中で戦争を書くという、戦争児童文学の流れ(宮川健郎)の端境期に位置づけられるだろう。
 研究発表では、「ちいちゃんのかげおくり」と表裏をなす「おはじきの木」(一九七六)という作品にも言及しつつ、あまん作品が戦争というテーマをどのように表現し、どのような作品世界を構築しているのか、またその意義について明らかにしたい。

(岡山大学大学院)

講演者紹介

あまんきみこ

昭和六(一九三一)年、旧満州・撫順の生まれ。満鉄社員だった父の転勤にともない、新京をへて、大連で育つ。敗戦後、昭和二二年に日本に引き揚げ、大阪で暮らす。日本女子大学(通信制)卒業。童謡詩人で童話作家の与田凖一に出会い、書きはじめる。昭和四三年、日常が不意に別の顔を見せる瞬間を描いた連作短篇集『車のいろは空のいろ』(日本児童文学者協会新人賞)でデビュー。「近代童話」の詩的性格を廃し、散文化をすすめていた「現代児童文学」に新生面をひらく。『北風をみた子』『おっこちゃんとタンタンうさぎ』(野間児童文芸賞)『だあれもいない?』(ひろすけ童話賞)、絵本『おにたのぼうし』『ちいちゃんのかげおくり』(小学館文学賞)『きつねのかみさま』など作品多数。今年の秋ごろ、『あまんきみこセレクション』全五巻(三省堂)が刊行される予定。現在、京都府長岡京市在住。