2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会

2017(平成29)年度 昭和文学会 春季大会

特集 冷戦期の余白を埋める ――ベトナム戦争を視座として 

日時 6月10日(土)午後1時30分より

会場 日本大学文理学部 3号館5階 3505教室
(〒156-8550 東京都世田谷区桜上水3-25-40)

大会概要、アクセスなどはこちらを参照ください。

開会の辞

紅野 謙介(日本大学文理学部教授)

【基調講演】
ベトナムを見続けて53年

石川 文洋

【研究発表】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔

子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達

日本人のベトナム体験

川村 湊

【ディスカッション】

閉会の辞

一柳 廣孝(代表幹事)

 

司会 尾崎 名津子・友田 義行

※終了後、3号館1階カフェテリア秋桜にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
 
【企画趣旨】
占領期以降、日本は冷戦構造のなかで、政治・経済の両面で独特のポジションを与えられた。つまり、政治的な配置においては西側に属しながらも、冷戦の最前線ではなく、その後方に位置づいたということ。また、殊に東南アジアへの経済進出を進めることを通して、アジアにおける分業経済体制の中心を担ったことである。
この構造が成立する重大な契機の一つに、ベトナム戦争(1960—75年)がある。それは日本がアメリカにとってアジアにおける後方基地として在ることを否応なく想起させ、沖縄の在日米軍基地問題と結びつくかたちで関心の的となった。「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の活動に代表されるように、1960年代後半には大規模な市民運動が展開されもした。
同時に、テレビの普及をはじめとするメディア環境の変容も重なり、文学、ジャーナリズム、演劇、映画、新聞・雑誌文化といった諸側面において、この時期には「文化の地殻変動」ともいうべき事態が発生していたようにも見える。それはまた、ロックに代表される音楽やマンガなどのポピュラーカルチャーが、一種のカウンターカルチャーとしても流行したということともつながるであろう。ベトナム戦争の形象化は、こうした変容を前提としている。
戦争とメディアの展開に否応なく向き合った文化状況とはいかなるものであったのか。その担い手たちは「ベトナム」を起点として何を想像/創造したのか。こうした観点からの考察がより積極的になされてもよいはずだが、ベトナム戦争期の文学・文化に関する研究上の「余白」は、いまだ埋められていないかのように思われる。本企画では、ベトナム戦争を起点として生起したさまざまな現象を多角的に捉え返すことを通して、冷戦構造下の日本の文化状況を検討したい。
 
【講演者略歴】
石川 文洋(いしかわ・ぶんよう)
1938年沖縄県生まれ。1964年、毎日映画社を経て、香港のファーカス・スタジオに勤務。1965年1月から1968年12月まで、フリーカメラマンとして南ベトナムの首都サイゴンに滞在。朝日新聞社出版局勤務を経て、1984年からフリーカメラマンとして活躍している。日本写真協会年度賞、日本雑誌写真記者協会賞、日本ジャーナリスト会議特別賞、市川市民文化賞のほか、ベトナム政府より文化通信事業功労賞を受けるなど、受賞多数。
初の写真展『戦争と兵士と民衆』以後、『沖縄の基地とアメリカの戦争』、『石川文洋が見たフクシマ』、『戦争と平和 ベトナムの五〇年』など、多数の写真展を開催。テレビドキュメンタリー『ベトナム海兵大隊戦記』を撮影するなど、幅広く活躍している。
主な著書に、『写真記録ベトナム戦争』、『カラー版 ベトナム 戦争と平和』、『私が見た戦争』などがある。
 
【発表要旨】
反戦ロックミュージカル「ヘアー」の受容をめぐって

秋吉 大輔(あきよし・だいすけ、立命館大学大学院博士後期課程) 

1967年オフブロードウェイで上演された「ヘアー」は、ベトナム反戦運動や公民権運動を中心とする反体制運動から生まれたヒッピー文化を背景に、主人公が徴兵に悩む反戦ロックミュージカルである。翌年ブロードウェイでロングラン公演となり、世界各地で上演され、69年12月には東京に上陸する。68年アメリカの前衛演劇を視察し「ヘアー」を観劇していた寺山修司は、プロデューサーに日本版の台本を依頼される。寺山の台本は、翻訳劇ではなく、日本とアメリカの関係性を問い直し、黒人に対する人種差別の状況を在日コリアンに置き換えたものであった。しかし、実際の上演では、寺山の台本ではなく原作の直訳に近い台本が採用されることとなる。
本発表では、寺山の台本と実際に上演された舞台を、現存する資料によって比較することで、「ヘアー」が脱政治化され消費の対象として受容されていく様を明らかにする。そして、ベトナム反戦運動などを契機としたアメリカのカウンターカルチャーを寺山がどう受容したのかを検証したい。

 
子ども向けマンガにおけるヒーローの挫折 ――石ノ森章太郎作品の検討から――

森下 達(もりした・ひろし、東京成徳大学人文学部助教)

日本の児童文化においては、戦前・戦中期から、所与のものとしての善を体現する少年主人公が敵と戦うという枠組みのもと社会問題の取りこみも図られてきた。1960年代後半の日本において、手塚治虫や水木しげる等のマンガ家たちが、自身が創造した子ども向けのヒーローを相次いでベトナム戦争に立ち向かわせることになったのも、広い意味ではこの姿勢を踏襲するものである。こうした児童文化の枠組みを意識しながら、本発表では、少年誌・少女誌でくりかえしベトナム戦争を取り上げたマンガ家である石ノ森章太郎の作品群に着目する。そこでは、現実の社会問題を意識した形で敵の造形のアップデートが図られた結果、戦いが抽象化し、最終的にはヒーローが現実に関われないことが主題化されるに至っていった。この点から、ポピュラー・カルチャーが同時代の「政治」や「社会」からは切断された領域として確立されていく過程を浮き彫りにするのが、本発表の目的である。
 
日本人のベトナム体験

川村 湊(かわむら・みなと、文芸評論家)

日本の現代作家で、ベトナム戦争が、その文学的な画期的な意味を有したと思われる作家として、開高健、日野啓三、近藤紘一の三人がいる。彼らは、ベトナム戦争の体験がなければ、作家となっていなかったかもしれない。しかし、そうした戦争の体験だけではなく、日本の文学者とベトナムとの邂逅はそれまでになかったわけではない。小松清などの例である。ベトナム戦争以前、以降の日本人のベトナムとの関わりを検証する。
 
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