【報告】昭和文学会 2010年春季大会 定型詩の現在
- 日時 2010年6月19日(土) 午後1時30分より
- 会場 國學院大學 渋谷キャンパス 120周年記念1号館1101教室 *昭和文学会会員以外の方でも、無料・申込不要にて参加できます。
- 研究発表(司会 堤玄太 藤木直実)馬場あき子論―『南島』を中心に― 日置 俊次現代短歌が切り拓いたもの 小林 幸夫
- 講演 短歌の正体 穂村 弘
俳句はなぜ廃れたか 齋藤 愼爾 - 懇親会
※ 研究集会終了後、学内にて懇親会を予定しておりますので、皆様ふるってご参加下さい。
報告要旨
馬場あき子論―『南島』を中心に―
日置 俊次
現代短歌の世界における最大の難問のひとつが、文語と口語の問題である。それは、「現代短歌はどこにいくのか」という根源的な問に結びついている。古典の深い素養を背景とし、文語定型を守り続ける現代歌人も多い。馬場あき子はその代表的な歌人である。しかし、馬場はその長い歌歴のなかで、少しずつ口語表現を取り入れながら、近年は自在と呼ばれる境地に達している。「桃太郎と金太郎と勝負することなしされどああ少し金太郎好き」現在の馬場は、このように口語文脈と口語的破調を意識的に取り入れながら、独自の豊かな世界を展開している。しかしその根幹には、常に文語的発想があるといえるだろう。馬場は、現在第二十二歌集まで完成している(本年、第二十三歌集が発表される予定)。その豊かな歌集群の中から、馬場がついに口語を導入した転回点として、第十二歌集『南島』を中心にすえて、現代を代表する歌人における文語・口語のせめぎあいを探ってみたい。 (青山学院大学)
現代短歌が切り拓いたもの
小林 幸夫
文学の推移やそれに伴う新さを考えるとき、常に問題として浮上してくるのは、連続と非連続の問題である。短歌で言えば、古典和歌と近代短歌、近代短歌と現代短歌、これがどう繋がっていてまた切れているか。感触としては認知できるのであるが、それを言語化するのはなかなかに困難である。この発表では、近代短歌と現代短歌の違いを構造的に明らかにし、現代短歌の特性を指摘して、現代短歌が切り拓いたものとは何か、それを踏まえて短歌はどこに行こうとしているのか、このようなことのささやかな提示を行いたい。この試みの中心点として考えているのは、短歌のなかに存在する〈私〉である。語り手であり、伏在していたり時に顕在したりする〈歌の主体としての私〉である。その〈私〉のふるまいを考えること、さらにその〈私〉と作者の関係を見きわめたい。 (上智大学)
【講演者紹介】穂村 弘
一九六二年、北海道札幌市生。上智大学文学部英文学科卒業。学生時代より短歌創作を行い、連作「シンジケート」で注目される。大学卒業後、歌誌「かばん」に入会、また歌壇にとらわれない企画集団SS‐PROJECTも結成。短歌創作、歌論、エッセイなど広い分野で活躍し、広い年齢層から圧倒的な支持を受ける。主な著作として、歌集『シンジケート』(沖積舎、一九八九年)、『ドライドライアイス』(沖積舎、一九九二年)、入門書に『短歌はプロに訊け』(本の雑誌社、二〇〇〇年)、エッセイ集に『にょっ記』(文芸春秋、二〇〇六年)などがある。二〇〇八年五月、第一九回伊藤整文学賞の評論部門を『短歌の友人』(河出書房新社、二〇〇七年)で受賞している。
【講演者紹介】齋藤 愼爾
一九三九年、京城生まれ。高校時代より句作を始め、「氷海」主宰秋元不死男に師事。六〇年安保闘争以降、句作を断念。二十三年の後、寺山修司らと「雷帝」創刊のため再開。一九六三年、深夜叢書社を設立。句集『夏への扉』(蒼土社、一九七九年)、『秋庭歌』(三一書房、一九八九年)。評論集『偏愛的名曲事典』(三一書房、一九九四年)、『読書という迷宮』(小学館、二〇〇二年)、『寂聴伝――良夜玲瓏』(白水社、二〇〇八年)、『ひばり伝――蒼穹流謫』(講談社、二〇〇九年)。編著、監修『現代俳句の世界』全十六巻(朝日文庫、一九八四~八五年)、『二十世紀名句手帖』全八巻(河出書房新社、二〇〇三~〇四年)など。