第55回 昭和文学会 研究集会

2014(平成26)年度 第55回 昭和文学会研究集会
日時 12月13日(土)午後2時より
会場 駒澤大学 駒澤キャンパス1号館4階 403号室
〒154-8525 東京都世田谷区駒沢1-23-1

※概要、アクセスマップなどはこちら(PDFファイル)をご参照ください。

 

【研究発表】

怪異の生成とその論理――泉鏡花「山海評判記」と小村雪岱挿絵から――

富永 真樹

 

交錯する時間――林芙美子「凍れる大地」試論――

萬処 恵

 

ある「在日」の時間感覚――李良枝『刻』論――

文 寶卿

 

司会 西井 弥生子・片山 倫太郎
 
※ 研究集会終了後、駒澤大学内の学生食堂で懇親会を予定しております。ふるってご参加ください。なお、懇親会の予約は不要、当日受付にてお申し込みください。
 
 

【発表要旨】
 

怪異の生成とその論理――泉鏡花「山海評判記」と小村雪岱挿絵から――

富永 真樹(トミナガ・マキ)

  泉鏡花「山海評判記」(昭和4年7~11月)は、能登を舞台に小説家・矢野がさまざまな怪に遭遇する長編小説である。その怪異を形成するのは白山信仰、土地に宿る伝説、柳田国男らによる民俗学といった様々な引用、過去と現在、「天女」のような娘から「悪魔」のような老人といった一見すると繋がるはずのない雑多な要素であるが、鏡花は「見せる」「隠す」という力関係を駆使することによりそれらを結び、一つの大きな力として作中に成立させている。そしてこれには『時事新報』連載時に添えられていた小村雪岱による挿絵も重要な役割を担っている。雪岱も同様に「見せる」ものと「隠す」ものの選択を意識的に行うことで、読者をより効果的に物語内の怪異に巻き込んでゆくのである。画家と作家がそれぞれ描いた以上のような関係性に注目した上で、主人公を、そして作品そのものを飲み込む怪異がどのようなものであるのか、そこに通底する論理を明らかにしたい。
(慶應義塾大学大学院生)
 

交錯する時間――林芙美子「凍れる大地」試論――

萬処 恵(マンドコロ・メグミ)

  林芙美子の「凍れる大地」(『新女苑』、1940年4月特別号)は、一方で〈紀行文〉、他方で林のテクスト群と比較して『北岸部隊』や『戦線』と同じく〈報告文学〉といった全く異なった評価・解釈がなされてきた。なぜこのような読みの相違が生じているのだろうか。初出誌に掲載されるにあたり、編集責任者の内山基は「報告書」もしくは「レポ」を林に依頼していた。つまりこれはただの私的な旅行ではなく、あくまで視察である。しかし作中では、女の一人旅を強調する記述が繰り返しなされ、それに呼応するかのように現地メディアでは、「まるで放浪記時代の女史そつくり」と報じている。こうした作家イメージを喚起させる報道は、作品と結び付けられて語られてしまう危険性を孕んでいるだろう。本発表では以上のような解釈の枠組みの意味について考察し、「凍れる大地」において林自身が何を語り、何を語らなかったのかを明らかにしていきたい。
(青山学院大学大学院生)
 

ある「在日」の時間感覚――李良枝『刻』論――

文 寶卿(ムン・ボギョン)

  1980年代において「若い世代」であった「在日」三世作家の作品には、一世、二世「在日」作家の作品によくみられる〈民族〉という政治的なテーマよりも、家庭、職場、帰化などの個人的な次元での問題が反映されているものが多いと分析できる。同じく三世作家である李良枝も「在日」の個人的問題に目を向けた作家であるが、彼女の場合、個人の「在日」の経験を通して、民族的アイデンティティの葛藤を描写している。たとえば、李の中篇小説『刻』は、 韓国に留学中のスニという「在日」女性の一日を時間の経過に沿って描いている作品であるが、この作品で注目したいのは、境界を生きる「在日」であるがゆえに主人公に複数の時間軸が生じてしまったことである。この複数の時間軸により、主人公は自己の分裂や「在日」としての苦悩を経験する。
  本発表では、『刻』にあらわれた主人公の葛藤の根拠について、彼女が「在日」という境界人であることを踏まえながら、彼女の持つ複数の時間軸を手掛かりに考察したい。
(お茶の水女子大学大学院生)