2026(令和8)年度 昭和文学会 秋季大会の開催と発表者募集のお知らせ
【2026年度 秋季大会開催のご案内】
2026(令和8)年度昭和文学会秋季大会を下記の通り開催いたします。
多くの皆さまのご参加をお待ちしています。
日時:11月14日(土)午後
会場:武蔵野大学武蔵野キャンパス
開催形式:対面を主とするオンライン併用のハイフレックス(予定)
特集:「米」と文学――その実践と思想の再検討
【特集テーマ発表者の募集】
このたび会員各位の発表機会の維持、またそれによる大会企画の一層の多様化、充実化を期して、特集テーマ「「米」と文学――その実践と思想の再検討」の発表者を広く募集いたします。
企画趣旨文については、以下の「特集テーマ企画趣旨」をご覧ください。
発表は、会場(対面形式)で行うことを前提とします。
多くの方々のご応募をお待ちしています。
※ただし、応募は会員に限ります。
応募受付および締切:
Eメール添付による応募の場合
会務委員会アドレス kaimu@swbg.org
7月28日(火)23時59分締切
郵送による応募の場合
〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-2-3 NSビル302 笠間書院内 昭和文学会会務委員会
7月28日(火)必着
募集人数:若干名
応募要項:①氏名、②所属、③発表題目、④要旨(1000~1200字)を明記したものを文書作成ソフトもしくは手書きで作成し、お送りください。Eメール添付の場合はPDFファイルに変換をお願いします。
その他:発表は1人30分。当日はシンポジウムがございますが、採択後に登壇の可否をおうかがいすることをあらかじめご了承ください。登壇していただける場合は事前ミーティング等への参加にご協力お願いします。また、旅費の補助はありませんが、非専任の方に限り印刷費の補助(上限3,000円)がございます。なお、発表に際して著作権等の確認はご自身で対応いただき、資料は事前提出をお願いいたします。
問い合わせ先:会務委員会 kaimu@swbg.org
【特集テーマ 企画趣旨】
特集:「米」と文学――その実践と思想の再検討
近代日本において「米(こめ)」は単なる農産物ではない。植物としての稲は品種改良を通じて、増産が目指され、人々の安定した生活の基盤として思想と文化の中心にあり続けた。米騒動から昭和初期に至る米価の乱高下がもたらした農村の疲弊は、第一次世界大戦後の日本の通奏低音となった。一方で、関東大震災以降の都市の復興の中で、農村・農業に着目し、「米」やそれを巡る生活全般にポテンシャルを見いだそうとする動きもあった。この時期文学者は、「米」とどう向き合ったのだろうか。「米」を扱ったテクスト/扱わなかった(あるいは扱えなかった)テクストの対比によって、「米」とそれを生み出す農業に対する文学的表現に迫りたい。
文学者たちにとって「米」は農村の風景を描くためのモチーフにとどまらない。例えば理想郷の建設に乗り出した武者小路実篤の『新しき村の生活』(1918年)など「新しき村」に関する記述からは、まず麦・野菜を作り、同時に「米」を自給するため、田にいかにして水を引くか苦心しながらも、それを考えることに喜びを感じる様子がうかがえる。
宮沢賢治は科学と宗教と芸術の力で農村の「幸い」を追求した。彼が配布した2000枚もの稲の肥料設計書は新しい品種や化学肥料の推奨も含んでおり、社会経済的処方箋として機能した。一方後年の「グスコーブドリの伝記」(1932年)では、稲作以外の収入を得る方法も強く提示されていた。
島木健作は『生活の探求』(1937年)等にて、百姓の営みの中心は稲であるとし、稲の収穫、生産者として組合との関係、そこに参入しようとする青年の苦労と成長を詳細に描いた。ここにおいて「米」は農村の象徴として描かれる。
柳田國男は「観念の稲作」とも言うべき、「日本人」の精神史(「原風景」)としての稲に注目して農民の生活をとらえた。『日本農民史』(改訂版1931年)では、「米」を一様に作り食う習慣が北海道まで広がっていることは近年の現象であると指摘している。
これらの試みは、「米」の重要性を認める共通点を持ちつつ、時にそこに理想を見、時にそれからの離脱を求めるものであった。彼らの活動は「ユートピアニズム」や「挫折」の物語として語られてきた。あるいは農村とその共同体をめぐる議論の基盤となった「農本主義」が、社稷(しゃしょく)として天皇制イデオロギーを支えてしまった点は否定できない。また稲の品種改良や生産が植民地政策と関わっていたことはいうまでもない。「米」は政治的・文化的にも近代日本の問題の核心にあった。
文学者たちの念頭にあった「米」の理想化とその問題は現在も継続している。「米」を作り、流通させ、食べるということからどのような表現が生まれたのかはいまだに解明すべき点をはらんでいよう。
本特集は、1910年代末から1940年代前半の文学者たちが試みた、「米」をめぐる多様なアプローチを、再検討することを目的とする。それは、食の安全や共同体の在り方に直面する我々自身への、根源的な問いかけとなるはずである。本特集が、文学という鏡を通して、現代の「米」とそれにともなう表現を見つめ直す一助となることを期待する。
