2024(令和6)年度 昭和文学会 第75回研究集会の詳細
※「ZOOMウェビナー」によるリモート参加には事前登録が必要です。
オンラインでの事前登録は12月7日(土)ごろ受付を開始します。
日時 2024年12月21日(土)13:00~17:30
会場 千葉大学 西千葉キャンパス 教育学部2号館2階2207教室
(〒263-8522 千葉県千葉市稲毛区弥生町1-33)
【研究発表】
坂口安吾「堕落論」論――一九四六年一二月版を中心に――
田中 聡一
司会 青木 怜依奈
太宰治『人間失格』草稿研究――「あとがき」を中心に――
武井 理紗
司会 近藤 史織
小泉譲『失楽の城』論――戦時上海文化界の動向をめぐって――
邵 金琪
司会 掛野 剛史
大岡昇平『歌と死と空』論――リアリズムの擬似的生成――
西田 正慶
司会 栗原 悠
不可解な他者の死と天皇小説との結節点――大江健三郎「月の男」を中心に――
李 在昶
司会 宮澤 桃子
【閉会の辞】
代表幹事 金子 明雄
【発表要旨】
坂口安吾「堕落論」論――一九四六年一二月版を中心に――
田中 聡一(タナカ・ソウイチ)
坂口安吾は一九四六年に「堕落論」を二度著している。一つは四月『新潮』に、もう一つは一二月『文学季刊』に発表された。そもそも、なぜ彼は「堕落論」を同年に再び発表したのか。「続堕落論」として今日一般に知られる一二月版発表に係る安吾の意図に、先行研究は天皇制批判の強調を読みとってきた。しかし、一二月版で天皇制は、そこから「堕落」すべき「カラクリ」として挙げられるうちの一例に過ぎない。本作の要点を天皇制批判のみに求めるのは難しい。
本作発表の意図を考える際にむしろ注目すべきは、作品後半でなされる「文学」と「政治」の関係をめぐる記述である。「カラクリ」たる「政治」や「制度」からこぼれ落ちる「個の生活」の「魂の声を吐くもの」として「文学」が定義される当該箇所は、四月版には見られないからだ。
本発表では、この意識のもとでまずは一二月版の読解を行う。その後、一九四六年における四月版を中心とした安吾周辺の様々な事象の考察を併せ、一二月版の評価を行いたい。(大阪大学・院)
太宰治『人間失格』草稿研究――「あとがき」を中心に――
武井 理紗(タケイ・リサ)
『人間失格』「あとがき」の草稿、入稿原稿の書き換え箇所を分析し、太宰が覚悟を持って死を選んだこと、そして強制入院の実体験を「フクシュウ」(復讐)という形で作品化した点を明らかにする。同時に、『人間失格』というタイトルや表面的な主題と相反するアイロニーが、作品全体を貫く重要な要素として機能していることを論じる。分析に際しては、第一に、草稿研究史における方法論の問題点や今後の課題を検討した。第二に、各研究者の方法論を体系的に分類することで、『人間失格』の草稿分析に最も適したアプローチを考えた。第三に、「あとがき」の書き換え箇所から五つの箇所を精選し、方法論の分類を通じて検討した理論的枠組みを適用した。
本研究では、作家とテクストを切り離して分析する限界を指摘し、生成過程における作家の存在を再評価することにより、多面的、統合的なアプローチの必要性を論じた。これにより、テクスト研究の新たな展望が開かれ、『人間失格』という作品の奥深い構造と意義が再認識されたと言える。(白百合女子大学・院)
小泉譲『失楽の城』論――戦時上海文化界の動向をめぐって――
邵 金琪(ショウ・キンキ)
小泉譲は、一九四二年春から敗戦までの上海を舞台とする長編四部作を構想していたが、その第一部が「昭和十六年の春から十一月半ばのアメリカン・マリン(米海兵隊)がマニラに引揚げるまでの期間」を描いた『失楽の城』(大日本雄弁会講談社、一九五八年四月)である。本作は、上海の抗日演劇や音楽などのことを背景に据え、葛藤を持つ中国人やそれを観察している日本人の矛盾と共感によって構成されたものである。
本発表において、『失楽の城』に描かれた上海の文化団体及び文化的な事象について、史料を調査しながら、中国の新劇や音楽などの抗日文化活動を巡って、どのように上海の日中文化人の間に浸透していくかを考察する。具体的には、春柳社、文芸抗敵協会、歌詠隊などの活動と本作の描写との関わりに着目し、本作にはいかにそれらの文化団体について言及されたかを分析する。また、戦時上海の文化界が背景になる特殊性から、戦争への反省という創作目的を確認し、作品の再評価を試みる。(佐世保工業高等専門学校)
大岡昇平『歌と死と空』論――リアリズムの擬似的生成――
西田 正慶(ニシダ・マサヨシ)
大岡昇平は、巧妙化する推理小説のロジックを「現実感覚」=「リアリズム」の欠如として難じた村松剛ら「想像力学派」の言説に、「小説における真実の問題」は「真実ではないのではないか」という読者の「不安を消す」〈信憑力〉によって補われると認識を示した(「推理小説論」六一・九)。
大岡『歌と死と空』(光文社、六二・八)は「だれもうらまないで」と遺し、睡眠薬の多量摂取により死した歌手・有本品子の日記を受け取った航空技師・中田が品子の「復讐」を代行すべく企てた連続殺人を描く。品子が死に至る過去を、犯人や殺害される容疑者たちの記憶や偽証を含んだ言葉によって撹乱し、読者がこれを整序だった物語として受け入れ、消費することを容易には認めないさまは、たとえば本作の直前に大岡が著した『花影』(中央公論社、六一・五)における葉子の自死を一貫した語り手の統御のもとに描いた物語とは、その機序を異にしていよう。本発表では、作中の死者を巡って生まれる疑心暗鬼的な登場人物の認識を照らすことで、本作が、語り手が主体として保証する客観化された単線的な物語に依拠するのではなく、登場人物が紡いだ「復讐」の物語の読者に対する欺瞞性を語り手がいかに幇助することで、小説の「真実」らしさの代置を目指したのかについて明らかにする。(神戸大学・院)
不可解な他者の死と天皇小説との結節点――大江健三郎「月の男」を中心に――
李 在昶(イ・ジェチャン)
本発表では、大江健三郎の「月の男」(一九七二年)を取り上げ、大江の天皇(制)小説における〈純粋天皇〉への同一化の衝動やそれに対する相対化といった手法が変転していく有り様とその可能性を解明することを目指す。
大江文学における天皇(制)のテーマについては盛んに研究され、〈純粋天皇〉に惹かれてしまう情念を相対化する仕掛けが作中に常に設けられていることが特徴とされてきた。そのため、それまでのような形の相対化が見出せない本作は、相対化するベクトルが欠落した作品、あるいは大江の天皇(制)小説の主な系譜に属さない特異な作品とされ、他作品ほど論じられてこなかった。
そこで、本作をその改作のもととなる短編「死滅する鯨の代理人」(一九七一年)と「みずから我が涙をぬぐいたまう日」(一九七一年)を補助線として検討することで、天皇(制)の問題系において他者の理解不可能性の問題を開示し、実験的な相対化を試みる手法の内実を明らかにする。(東京大学・院)