2024(令和6)年度 昭和文学会 秋季大会の詳細

※本大会は、対面・オンラインを併用したハイフレックス方式での開催を予定しております。
開催概要、アクセスなどはこちらをご参照ください。

※「ZOOMウェビナー」によるリモート参加には事前登録が必要です。
オンラインでの事前登録は11月2日(土)ごろ受付を開始します。

※本大会の開催にあたり、障害者差別解消法への対応として、情報保障等の合理的配慮の提供を行います。
詳細についてはこちらからご確認ください。

 

日時 2024年11月16日(土) 14:00~18:00

会場 早稲田大学 早稲田キャンパス 14号館B101教室

 

特集 偶像としての文学 ――信仰と消費の狭間で――

 

【開会の辞】

金井 景子(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)

【基調講演】

教養文化と宗教・思想・文学

島薗 進(大正大学・龍谷大学・上智大学グリーフケア研究所)

【基調報告】

演劇と偶像 ──近世後期から近代におけるファンダムの諸相──

赤井 紀美(東北大学)

司会 齋藤 樹里

【研究発表】

神々の文壇 ──大正期から昭和初期の文学言説における宗教的アナロジーの変遷──

小谷 瑛輔(明治大学)

司会 松本 拓真

【シンポジウム】

司会 栗原 悠 ・ 富永 真樹

【閉会の辞】

金子 明雄(代表幹事)

※閉会後、学外において懇親会を設ける予定です。

 

【企画趣旨】

 世界は無数の像で満ちている。ネット上には有名無名にかかわらず多くの人物やキャラクターの画像・映像が日々更新され、次々に消費される像はときに見る側の心の拠り所として機能する。これを指す「推し」という語はいつしか現代文化を語る際欠くことのできないものとなった。作り出され、享受される「推し」は、現代の偶像である。
 その現代の偶像=アイドルは、複製・流通・消費のメカニズムと切り離せない。コンテンツの舞台となった空間への「聖地巡礼」、「文豪」のアニメ・ゲーム化といった商業戦略を思い返せばよい。偉人の肖像やロイヤルファミリーに関する報道、教科書における国民的作家としての権威付けなどもこの範疇で考えられる。視覚要素と深く結びつきながら、羨望や熱狂の対象としての偶像が生成されるのである。また売れる作家の作品こそ崇拝の対象である商業主義において、作家イメージ、広告やメディアミックスを通して作品そのものが偶像化されることも多い。文学を「教養」として扱う言説などは、文学が偶像化されている一例ということもできよう。視覚要素と結びつくという点で、ルッキズムをはじめとする現在的な問題との接点も多分にもっているだろう。
 ここで、「偶像」という語の出発点に戻りたい。言うまでもなく、偶像は元来信仰対象をかたどった像=イコンを指す。偶像の源にあるのは聖なる存在の代替として作られた像にあるといわれる。失われた存在への思慕が生んだ像に込められた願いは、常に挫折する運命にある。像はあくまで代替に過ぎず、失われた存在そのものとはなり得ないからだ。だがそうであるからこそ、像は人々の切実な祈りを寄せる具象としてさらなる聖性を獲得した。現代の偶像は、こうした祈りと地続きにあるのではなかろうか。偶像を求めずにはいられない心性、及び社会のメカニズムは、いまなお変わることがない。偶像は、切実な信仰と思惑に満ちた消費との狭間で人々の心を写す像なのである。
 本特集は、いまも常に求められ続けている偶像と「文学」の関係について検討を行う。『昭和文学研究』第六〇集(二〇一〇年一二月)では特集「昭和の〈偶像〉」が組まれ、〈偶像〉という言葉で「昭和」という時代に強い影響力を持った「特定の人物表象やキャラクター」が指示された。本特集では偶像を必要とする人々の心性やそれが生み出されるメカニズム、時代状況なども視野に入れる。多くの人々にとって偶像がなくてはならないものとなっている今日、偶像を通して文学そのもの、ひいては文学を取り巻いている状況を相対化し、新たな視座へと繋がる研究を期待したい。

 

【講演者紹介】

島薗 進(しまぞの・すすむ)

 専門は宗教学、死生学。一九四八年生まれ。日本宗教学会賞、湯浅賞、朝日賞を受賞。著書に、『宗教学の名著30』、『国家神道と日本人』、『日本仏教の社会倫理』、『日本人の死生観を読む』、『宗教を物語でほどく』、『死生観を問う』、『なぜ「救い」を求めるのか』などがある。                                   (大正大学・龍谷大学・上智大学グリーフケア研究所)

 

【報告要旨】

演劇と偶像 ──近世後期から近代におけるファンダムの諸相──

赤井 紀美(あかい・きみ)

 現代における流行として、「推し」や「推し活」という言葉が広く使われている。特定の人物やキャラクターなどを愛好する行為から生まれた言葉だが、こと舞台芸術の分野においては特定の演者を熱烈に応援することは古くから行われていた。庶民たちの人気に支えられ、歌舞伎は江戸時代最大の娯楽となったが、今でいうところのファン文化はこの時期にはすでに形成されていたといってよい。出版文化の隆盛にともない、実際の舞台のみならず、浮世絵(錦絵)などの各種出版物を通して人々は歌舞伎役者とその舞台を応援した。近代以降も舞台芸術における観客たちの有形無形の支援は形を変えながらも継続していった。
 近年の「推し活」の様相は時に信仰との類似性を見出されるが、舞台芸術のファン文化において役者の偶像化は常に行われており、それらは消費やコミュニティの形成と密に関わっている。本発表では近世後期から近代におけるファンダムの諸相を、演劇と偶像という視点から概観したい。(東北大学)

 

【研究発表要旨】

神々の文壇 ――大正期から昭和初期の文学言説における宗教的アナロジーの変遷──

小谷 瑛輔(こたに・えいすけ)

 志賀直哉を「小説の神様」と呼ぶ言説が多発的に出現したのは昭和八年頃からだが、それ以前から、志賀直哉に限らず作家に対して「神」の語を宛てて語ることは、メディア上で多く行われていた。ただし、「小説の神様」のような定型句の成立前は、「神」だけではなく「偶像」「本尊」「崇拝」「開祖」などといった多様な宗教的語彙群が場当たり的に用いられていた。そのため、文学を語る上で宗教的なアナロジーを用いるという発想自体がどのように定着・変遷していったのか、という視点から見ていく必要がある。本発表では、大正期から昭和初期にかけて、文学について語る言説の中で宗教的語彙群がどのように用いられたのか、その多様な事例を見ていくことで、文学や作家を「偶像」視する認識枠組みのさまざまな型がどのように発生し展開していったのかについて、概観してみたい。(明治大学)