2020(令和2)年度 昭和文学会 第67回研究集会のお知らせ

*第67回研究集会は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、オンライン開催となりました。詳細は別紙をご参照ください。今回は延期となりました2020年5月の第66回研究集会の企画とあわせて行うため、午前中からの開催となります。また、特集は一部内容を変更して開催いたします。
*日時12月19日(土)10時〜18時15分
 
開会の辞

代表幹事 大橋 毅彦

【第一部 自由発表】 10時10分より
 
巌谷小波の思想的基礎
―― 師・杉浦重剛との関係を中心として――

増井 真琴

 
島崎藤村『夜明け前』論
――青山半蔵の国学思想を中心として――

陳 知清

 
太宰治「道化の華」におけるアンドレ・ジッドの評論『ドストエフスキー』の受容

宮﨑 三世

 
大江健三郎『懐かしい年への手紙』論
――ギーの死の伝達過程の分析を中心に――

西岡 宇行

 

司会 ブルナ ルカーシュ・山田 宗史

 
【第二部 特集:国民再編の装置としての〈祭典〉】 14時40分より
「紀元二千六百年」奉祝事業と〈歌詞テクスト〉
――拡声装置としての〈国民〉の身体――

小林 洋介

 
内閉と崩壊のイマージュ
――〈祭典〉の反照――

宮崎 真素美

 
帝国の片隅で
――植民地台湾における国民動員と文学――

大東 和重

 

司会 佐藤 未央子

 
全体討議

ディスカッサント 五味渕 典嗣

 
閉会の辞

代表幹事 大橋 毅彦

 
【自由発表 発表要旨】
巌谷小波の思想的基礎 ―― 師・杉浦重剛との関係を中心として――

増井 真琴(ますい・まこと)

 日本近代児童文学を代表する作家・巌谷小波には、生涯を通して尊敬し続けた「先生」と呼び得る存在が、ひとりいた。小波と同じ近江(滋賀県)出身の教育者・思想家の杉浦重剛である。
 皇太子時代の昭和天皇に倫理(帝王学)を講じる等、日本近代の教育史・思想史において、重要な足跡を残した杉浦は、小波にもまた、決定的な影響を与えていた。小波は青年期、杉浦の家塾である称好塾で三年間、住み込みの門下生として学び、以来杉浦を、師として慕い、仰ぎ続けていたのである。
 しかし、小波と杉浦の関係については、これまでの先行研究において、ほとんどまったく論じられていない。そこで本発表では、杉浦の思想・教育方針の分析や小波と杉浦の接点の調査を通して、小波の人格・思想形成に果たした杉浦の役割を明らかにしたい。また、杉浦の教育が、後の小波の(児童)文学にどのような影響を与えていたのか、「杉浦先生」(『少女倶楽部』一九二九年四月)等のテキスト分析を通して、つまびらかにする。

(日本学術振興会特別研究員(PD))

 
島崎藤村『夜明け前』論 ―― 青山半蔵の国学思想を中心として――

陳 知清(ちん・ちせい)

 『夜明け前』は藤村晩年の大作として注目を集め、様々な角度から研究されてきた。小説の主人公青山半蔵が平田派の国学者であるため、国学がこの作品を読み解く上での重要な鍵であることはよく知られていることである。先行研究として、二十世紀前半の国学論と比較して『夜明け前』の平田学認識の特徴を分析する研究、または長谷川如是閑の国学論・ファシズム論を視野に入れて『夜明け前』の国学観を論じたものなどが挙げられるが、半蔵の国学思想の内実についての分析にはなお検討すべき点が数多く残されているといえる。例えば、半蔵は攘夷激派と違い、黒船と戦いながら西洋を受け入れていく国学者として造形される。それは藤村が半蔵を理想化した結果と読まれてきたが、そのような国学者は実際にありうるのか。また、「自然に帰れ」及び「復古」は半蔵の国学思想を考える際のキーワードであるが、これまでの研究では、その内実について必ずしも明らかにされたとはいえないだろう。本発表ではこれらの問題を読み解き、作品の新しい読みを提示したいと考える。

(東京学芸大学大学院)

 
太宰治「道化の華」におけるアンドレ・ジッドの評論『ドストエフスキー』の受容

宮﨑 三世(みやざき・みつよ)

 「道化の華」(『日本浪曼派』第一巻第三号、昭和十年五月)では、「美しい感情を以て、人は、悪い文学を作る」という、アンドレ・ジッドの評論『ドストエフスキー』からの文が三度引用される。長部日出雄氏は、太宰が読んだものを『ドストエフスキー』(武者小路実光・小西茂也訳、日向堂、昭和五年十月)であろうと指摘している(『神話世界の太宰治』、平凡社、昭和五十七年十月)。そして、ジッドが「ドストエフスキーの人物の性格の非一貫性、すなわち不連続性と、未完成性および不完全性」や「矛盾」を指摘している点が重要であると論じている。
 「道化の華」では、心中事件で一人生き残った大庭葉蔵の物語に、その物語を書く書き手の「僕」がしばしばわり込んでくる。作中では「悪魔」と同時に「神」への言及が見られる。この発表では、『ドストエフスキー』を中心に、「道化の華」までに出されたジッドに関する文章を検討することによって、これらの言及について考えたい。

(京都女子大学)

 
大江健三郎『懐かしい年への手紙』論 ―― ギーの死の伝達過程の分析を中心に――

西岡 宇行(にしおか・たかゆき)

 一九八〇年代の大江健三郎は自身になぞらえることができる作家に焦点化した小説家小説を継続的に発表し、小説が書かれる過程を物語内容に取り込もうとした。『懐かしい年への手紙』(一九八七年)もまた、この系列の作品として位置づけられる。「手紙」を題の一部に含む作品自体が、作品終結部で「僕」が書くと宣言した「手紙」と同定されうる点などにみられる本作の書く行為にまつわる自己言及的な構造を指摘する先行研究は既にあるものの、「僕」のパトロン的存在であるギーの生と死の物語がその構造の中でしか書かれ得なかったことの理由については定見がない。本発表は、ギーの生と死の物語が「僕」にもたらされ、「僕」がそれを書く行為によって未来の読み手に送り出していく動的な過程の記録として作品をとらえなおした上でこれを再検討する。その上で、書く過程自体を物語化する大江の方法が、いかなる可能性をはらんでいたかを明らかにしたい。

(東京大学大学院)

 
【特集 企画趣旨】
 本企画では、一九三〇~四〇年代における国家的な事業に対して文学がどのように向き合ってきたかを明らかにすることを目的としている。
 明治以来、国民国家となった日本において、国家という制度は精神的・物質的双方の面から人びとの活動に制約を加えてきた。精神活動の産物である文学においても、国家の存在が大きな影響を与えてきたことは言を俟たない。国家がもっとも前景化する事例として戦争が挙げられるが、近年の戦争文学への研究が明らかにしたように、文学は表象の面から国家を支えることになった。しかし、そうした表象は火野葦平『麦と兵隊』(一九三八年)と石川達三『生きてゐる兵隊』(一九三八年)のように、当時の中国への文学者派遣とそれにともなう報道やルポルタージュのプロパガンダ化という流れのなかにあって、それを裏切って同時代の状況への批判として機能するといった事態も引き起こしていた。このような国家と文学テクストの関係の両義性に目を向けたとき、戦争というネガティブなトピックスを〈ポジティブ〉なものへと反転させる機能の破れ目に〈個人〉性の表象に関する問題が生じているのではないだろうか。
 そこで、本企画では〈祭典〉をめぐる言説空間に注目し、二つの視角から検討を進めたい。ひとつは紀元二千六百年式典や大東亜文学者大会といった大規模な〈祭典〉とそれに対する表象についての視角である。「紀元二千六百年」は国民の慶事として奉祝事業がさまざまに計画されていたが、そのなかでも「紀元二千六百年頌歌」や「奉祝国民歌」に代表される唱歌が果たした役割は大きな意味を持つだろう。NHKのラジオ番組『国民歌謡』で人びとに流通した歌は、ともに歌うことによって人びとの紐帯を強いものにしたはずだ。また、紀元二千六百年式典に合わせ、オリンピックの招致も予定されていた点にも注目できる。ベルリンオリンピックへの読売新聞特派員だった西條八十は国民の高揚を煽る詩篇を立て続けに発表し、朝鮮出身の日本代表・孫基禎がマラソンで優勝した際は「我等の英雄」と謳い、〈日本人の感動〉のなかに回収していった。朝鮮出身者を日本代表として五輪へ出場させることは、日本兵として出征させることと同列の行いといえる。その一方で、村野四郎『體操詩集』(一九三九年)には国家的な枠組みから距離を置いた表象も見られる。いったい、詩人たちは愛国詩や戦争詩といかにして向き合ったのだろうか。
 そして、もうひとつは〈外地〉の文学との連動に対する視角である。異なる民族を新たに糾合して戦争遂行に向かわせようとした〈外地〉の言説をめぐる分析は、〈内地〉のそれと併せて重要な課題として残されている。たとえば、台湾では新垣宏一『城門』(一九四二年)のように、皇民化教育の抑圧と矛盾を背景とした作品も描かれている。〈外地〉で展開された多彩な「文学報国」活動と、〈内地〉の文学運動はどのように連帯したのだろうか。そこにはいわば作られた熱狂ともいえる状況が生まれているともいえるわけで、 それもまたこの時代の〈祭典〉と相通ずるものかもしれない。
 以上の問題をふまえ、戦間期から戦時へと移行する時期に国民を動員する手段として用いられた〈祭典〉という装置に焦点を当てて、作家たちや新聞・雑誌のメディアがどのようにコミットしていったのかを問うことが本企画の主眼となる。文学テクストだけでなく当時の報道やメディアの言説のあり方などにも注目し、それぞれのテクストから見える〈祭典〉の表象とその効果を中心に分析することで、政治と文学と戦争をめぐる問題系に新しい論点を加えることを試みたい。
 
【特集 発表要旨】
「紀元二千六百年」奉祝事業と〈歌詞テクスト〉 ―― 拡声装置としての〈国民〉の身体――

小林 洋介(こばやし・ようすけ)

 本発表は、いわゆる「紀元二千六百年」奉祝事業(一九四〇年)に合わせて制作された歌曲や楽曲のうち、一九三九年十二月にNHKラジオ番組「国民歌謡」で放送された二つの歌曲の歌詞を主たる分析対象とする。一つ目は「紀元二千六百年頌歌」(紀元二千六百年奉祝会選定、東京音楽学校作詞作曲)である。その歌詞には、『古事記』など建国神話と関わりの深い古典に依拠した語句が多く用いられている。そうした用語によって「紀元二千六百年頌歌」およびそれが歌われた式典は、近代国家が建国神話を擬似的に再現し、自らの正統性を強化するための装置として機能したと言える。
 二つ目は「奉祝国民歌紀元二千六百年」(紀元二千六百年奉祝会・日本放送協会制定)である。これは広く〈国民〉に呼びかけて歌詞を募り、選ばれたものが実際に歌曲になったものであり、その作詞の過程そのものが、〈国民〉の祭典への参加を促すものであった。
 これらの歌曲を歌うとき〈国民〉は、自らの身体を使って他者に向けて〈歌詞テクスト〉のイデオロギーを拡声していたと言える。そこで本発表では、歌詞の生成、流通、享受の様態を解明するほか、詩と同様に歌詞を文学テクストとして扱い、その分析を行う。

(比治山大学)

 
内閉と崩壊のイマージュ ―― 〈祭典〉の反照――

宮崎 真素美(みやざき・ますみ)

 皇紀二六〇〇年を記念した一九四〇年(昭和一五年)は、祝祭的な喧しさの極点であった。国威高揚をあからさまにしたベルリンオリンピックを継ぐ東京オリンピック構想をはじめ、詩歌の世界もそうしたムードに連動した。その一方で、当時二〇歳前後の若き詩人たちの作品には、日中戦争の開始とともに、やがて自分たちに忍び寄るであろう何ものかへの怯えの予感や警鐘、自己の内景としての「室内」の創出とその崩壊、満身創痍での疾駆のさまや不眠の描出が、高揚したムードの反作用さながらに認められる。また、彼らの二十年年長にあたる村野四郎は、一九三九年(昭和一四年)、ベルリンオリンピックの画像と詩篇とを組み合わせた『體操詩集』で、「在来の憂悶詩に対抗」する世界をあらわした。自我を超克する即物的表現から翼賛詩、敗戦後の疲労感漂う抒情的作風へと、この期のながれを一身に体現する村野の存在をあわせながら、〈祭典〉による〈再編〉の作用と反作用とを捉えたい。

(愛知県立大学)

 
帝国の片隅で ―― 植民地台湾における国民動員と文学――

大東 和重(おおひがし・かずしげ)

 台湾が日本の植民地だった約五十年間のうち、一九三一年の満洲事変以降の、いわゆる十五年戦争期間は、台湾研究の上でも文学研究の上でも、研究の対象となることが多かった。一九三〇年代から四〇年代前半は、植民地統治と関わる問題や矛盾が集中的に現れた時期であり、また日本語による文学活動の最盛期であるため、この時期に研究が集中したのである。その先駆的成果が、尾崎秀樹『近代文学の傷痕旧植民地文学論』(岩波同時代ライブラリー、一九九一年)であり、大東亜文学者大会や皇民化運動・皇民文学がテーマとなっている。本発表では、十五年戦争期の台湾文学を対象に、大東亜文学者大会など、文学上の〈祭典〉と呼ぶべきイベントや、高砂義勇隊や志願兵など、台湾特有の国民動員の装置について概観した上で、当時の代表的な文芸雑誌である『文芸台湾』の特集や記事に触れ、さらに報告者が主な研究対象としてきた、植民地の地方都市、古都台南に居住する、日本人や台湾人作家たちの作品や体験について論じてみたい。

(関西学院大学)

【ディスカッサント紹介】
五味渕 典嗣(ごみぶち・のりつぐ)
 早稲田大学教育・総合科学学術院教授。現在の主な関心は、日中戦争期・アジア太平洋戦争期の文学・文化とプロパガンダ。著書に、『プロパガンダの文学日中戦争下の表現者たち』(共和国、二〇一八年)、『谷崎潤一郎讀本』(共編。翰林書房、二〇一六年)、『言葉を食べる谷崎潤一郎、一九二〇~一九三一』(世織 書房、二〇〇九年)など。