2023(令和5)年度 昭和文学会 第73回研究集会の詳細

*本大会は、対面・オンラインを併用したハイフレックス方式での開催を予定しております。開催概要、アクセスなどはこちらをご参照ください。
なおコロナの感染拡大など、対面開催が困難になった場合は、オンラインのみの開催となります。

※「ZOOMウェビナー」によるリモート参加には事前登録が必要です。
オンラインでの事前登録についてはこちらをご参照ください。

日時 2023年12月16日(土)13:00~17:30

会場 二松学舎大学 九段キャンパス1号館4階401教室

(〒102-8336 東京都千代田区三番町6-16)

 

【研究発表】
春日鹿二『新坊ちやん物語』論──行刑分野の中でパロディされる『坊つちやん』──

奥村 尚大
司会 杉本 裕樹

谷崎潤一郎「痴人の愛」の映画化──戦後の〈倫理〉とナオミ表象──

佐藤 未央子
司会 熊澤 真沙歩

中勘助による女性を描いた随筆作品に表れた作家意識について

木内 英実
司会 山崎 和

安部公房「可愛い女」論──寓意の分析──

糸賀 寛
司会 松本 拓真

加藤幸子『北京海棠の街』にみる「留用日本人」の戦後

 解 放
司会 齋藤 樹里

【代表挨拶】

代表幹事 佐藤 秀明

【発表要旨】

春日鹿二『新坊ちやん物語』論──行刑分野の中でパロディされる『坊つちやん』──

奥村 尚大 (オクムラ・ナオヒロ)

 夏目漱石『坊つちやん』には多くのパロディ作品が存在しており、春日鹿二『新坊ちやん物語』(『刑政』四十一巻一号~五号、四十一巻七号~八号、四十二巻四号~八号 一九二八年一月~五月、七月~八月、翌四月~八月)もその一つとして位置づけることができる。『新坊ちやん物語』は刑務官を中心的な読者とする雑誌『刑政』で連載され、内容についても語り手である「自分」の刑務所職員としての経験を描いているという特徴を持っている。ここから行刑分野への文脈横断的なパロディがなされたと言える。
連載当時、行刑分野では教育刑論の台頭という変化が起きていた。また、雑誌『刑政』の大衆化が模索されている時期でもあった。過渡期にある行刑分野の中で、『坊つちやん』という物語がいかに利用されたのかについて分析を行う。
こうした異なる分野へのパロディの分析を通じて、パロディの技法がどのような効果をもたらしたのかについて明らかにする。(広島大学・院)

谷崎潤一郎「痴人の愛」の映画化──戦後の〈倫理〉とナオミ表象──

佐藤 未央子(サトウ・ミオコ)

 本発表では、一九四九年に公開された映画『痴人の愛』(大映、木村恵吾監督)を取り上げ、占領期の映画界における〈アメリカの影〉や映画倫理規程の規制、ナオミ表象に反映されたジェンダー規範について論じる。『痴人の愛』のプレスシートによれば、原作(谷崎潤一郎「痴人の愛」、『大阪朝日新聞』『女性』一九二四~二五年)は「肉体文学」としての価値を有しており、ナオミは京マチ子を起用することで具現化できたという。ただし本作は制作の過程で、同時期に制定された映画倫理規程に基づき衣装や演出の修正を迫られていた。大きな改変は結末部で、淪落したナオミが譲治に謝罪して赦しを得る展開にみられる。女性の「肉体」が家長により訓育され、あるべき家庭像へ回収される未来が提示されるのである。本発表はこれらの問題について、前述の論点を軸に、原作および映画にみられる戦前―戦後にわたるアメリカ映画界との関係も視野に入れて検討したい。(法政大学)

中勘助による女性を描いた随筆作品に表れた作家意識について

木内 英実(キウチ・ヒデミ)

 戦前戦中に教科書教材として随筆作品が採用される等、社会的認知が比較的早期であった随筆家としての中勘助の文学業績の中で、戦前から晩年に亘り実在する女性を描いた随筆作品が数多く存在することはあまり知られていない。
日記体随筆「妹の死」「母の死」「氷を割る」「蜜蜂」等、親族の女性を看取った経験を描いた作品には、彼女らの人間性を尊重する温かいまなざしと肉体及び精神の死に至る変化の過程が克明に記録されている。嫂の看取りを回想する視点で記した「蜜蜂」には、嫂の病状悪化の描写のはしばしに太平洋戦争開戦直後の大本営発表記事が挟み込まれる。つまり「医療の介入する余地のない」死の一端としての「在宅死」とその極端としての大本営発表における犠牲者数としての死が同一作品中に描かれるという演出がとられている。
晩年の代表作「随筆(二)」においては入院中の女性愛読者の書簡が日記体随筆中に挟み込まれる。彼女は自身の病床でのつれづれを記した随筆『みこころのままに』(保健同人社、一九五二年)の著者である。女性の病人に共感的な一連の随筆作品の内、晩年の「随筆(二)」における中勘助の作家意識を探ることを本発表の趣旨とする。(駒沢女子大学)

安部公房「可愛い女」論──寓意の分析──

糸賀 寛(イトガ・カン)

 安部公房の戯曲「可愛い女」には、相手の言葉をなんでも受け入れる可愛い女を主人公に、金貸し、泥棒集団の頭目、刑事、活動家の泥棒通信という人物が登場する。
本発表では、公房が語った、本作の「根本テーマ」について、文芸作品やマルクス主義の影響を基に分析する。
金貸しは貨幣資本家、頭目は産業資本家、刑事は国家の戯画で、彼らが結託する経緯は、レーニン『帝国主義論』における、独占資本の形成過程をなぞっていると考えられる。また、可愛い女が、その三人に共有される点は、マルクス『資本論』の剰余価値説に類似し、ここから彼女は資本の寓意だったと言える。
一方、活動家を戯画した人物である泥棒通信は、泥棒の欲求を無視した、理想主義的活動を続けた結果、泥棒達から排除される。
つまり本作は、権益を触媒とした資本主義の組織化と、理念的で現実から遊離している共産主義のそれの寓意であり、後者への批判が「根本テーマ」だったと言える。(京都大学・院)

加藤幸子『北京海棠の街』にみる「留用日本人」の戦後

解 放(カイ・ホウ)

 「留用日本人」とは、戦勝国の政府が敗戦国日本の技術を戦後の建設作業にも継続利用する、という目的で現地に引き留めた日本人技術者とその家族のことを称している。こうした留用日本人は、数多く残留していたにも関わらず、その存在が政治的に敏感な立場だったために隠蔽され続けてきた。
本研究では、加藤幸子の『北京海棠の街』(一九八五)を対象に、テクストの主人公が入植者としての抑圧記憶を忘却できないままに敗戦後は留用者となり、短時間に抑圧者と被抑圧者という正反対の社会的立場を経験している点に着目する。そこで、①主人公が見た夢の意味合い、②群衆描写の独自性、③複雑な言語の機能、に焦点をあて、これらのモチーフがどのような想像と現実を表象しているのかを考察する。最後に、留用日本人にのみ見出される特徴が、この特殊体験と因果関係を有しているのかを明らかにしたうえで、留用者と一般引揚げ者との間で生じている戦後認識の差異についても言及したい。(中国・吉林大学)