2020(令和2)年度 昭和文学会 第66回研究集会
会場 和洋女子大学 東館 5-1教室
〒二七二―八五三三 千葉県市川市国府台 二―三―一
日時 五月一六日(土)一四時~一七時三〇分
※新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)に関連して、本集会は一部内容の変更や、延期、中止になる可能性があります。また、終了後に東館18階ラウンジで予定されております懇親会(予約不要)につきましても、中止の場合があります。その際は速やかに昭和文学会HP(http://swbg.org/wp/)等でお知らせいたします。
特集 国民再編の装置としての〈祭典〉
開会の辞
【研究発表】
「紀元二千六百年」奉祝事業と〈歌詞テクスト〉
―― 拡声装置としての〈国民〉の身体 ――
内閉と崩壊のイマージュ
―― 〈祭典〉の反照 ――
「皇紀2600年」の日満文学交流
―― 日満交驩使節団訪日の足跡を追う ――
【全体討議】
閉会の辞
【企画趣旨】
本企画では、一九三〇~四〇年代における国家的な事業に対して文学がどのように向き合ってきたかを明らかにすることを目的としている。
明治以来、国民国家となった日本において、国家という制度は精神的・物質的双方の面から人びとの活動に制約を加えてきた。精神活動の産物である文学においても、国家の存在が大きな影響を与えてきたことは言を俟たない。国家がもっとも前景化する事例として戦争が挙げられるが、近年の戦争文学への研究が明らかにしたように、文学は表象の面から国家を支えることになった。しかし、そうした表象は火野葦平『麦と兵隊』(一九三八)と石川達三『生きてゐる兵隊』(一九三八)のように、当時の中国への文学者派遣とそれにともなう報道やルポルタージュのプロパガンダ化という流れのなかにあって、それを裏切って同時代の状況への批判として機能するといった事態も引き起こしていた。このような国家と文学テクストの関係の両義性に目を向けたとき、戦争というネガティブなトピックスを〈ポジティブ〉なものへと反転させる機能の破れ目に〈個人〉性の表象に関する問題が生じているのではないだろうか。
そこで、本企画では〈祭典〉をめぐる言説空間に注目し、二つの視角から検討を進めたい。ひとつは紀元二千六百年式典や大東亜文学者大会といった大規模な〈祭典〉とそれに対する表象についての視角である。「紀元二千六百年」は国民の慶事として奉祝事業がさまざまに計画されていたが、そのなかでも「紀元二千六百年頌歌」や「奉祝国民歌」に代表される唱歌が果たした役割は大きな意味を持つだろう。NHKのラジオ番組『国民歌謡』で人びとに流通した歌は、ともに歌うことによって人びとの紐帯を強いものにしたはずだ。また、紀元二千六百年式典に合わせ、オリンピックの招致も予定されていた点にも注目できる。ベルリンオリンピックへの読売新聞特派員だった西條八十は国民の高揚を煽る詩篇を立て続けに発表し、朝鮮出身の日本代表・孫基偵がマラソンで優勝した際は「我等の英雄」と謳い、〈日本人の感動〉の中に回収していった。朝鮮出身者を日本代表として五輪へ出場させることは、日本兵として出征させることと同列の行いといえる。その一方で、村野四郎『体操詩集』(一九三九)には国家的な枠組みから距離を置いた表象も見られる。いったい、詩人たちは愛国詩や戦争詩といかにして向き合ったのだろうか。
そして、もうひとつは〈外地〉の文学との連動に対する視角である。国民としての意識が強く共有されていた〈内地〉とは異なり、異なる「民族」を糾合して戦争遂行に向かわせようとした〈外地〉の言説への分析は、重要な課題として残されている。たとえば、満洲国では大東亜文学者大会に先立って文藝家愛国大会(満洲文藝家協会)が開かれていた。〈外地〉で展開された多彩な「文学報国」活動と、〈内地〉の文学運動はどのように連帯したのだろうか。
以上の問題をふまえ、戦間期から戦時へと移行する時期に国民を動員する手段として用いられた〈祭典〉という装置に焦点を当てて、作家たちがどのようにコミットしていったのかを問うことが本企画の主眼となる。作家たちは〈祭典〉の熱狂のなかで何を見、考えたのか。文学テクストだけでなく当時の報道のあり方などにも注目し、それぞれのテクストから見える〈祭典〉の表象とその効果を中心に分析することで、政治と文学と戦争をめぐる問題系に新しい論点を加えることを試みたい。
【ディスカッサント紹介】
五味渕 典嗣(ごみぶち・のりつぐ)
早稲田大学教育・総合科学学術院教授。現在の主な関心は、日中戦争期・アジア太平洋戦争期の文学・文化とプロパガンダ。著書に、『プロパガンダの文学 日中戦争下の表現者たち』(共和国、二〇一八年)、『谷崎潤一郎讀本』(共編。翰林書房、二〇一六年)、『言葉を食べる 谷崎潤一郎、1920~1931』(世織書房、二〇〇九年)など。
【発表要旨】
「紀元二千六百年」奉祝事業と〈歌詞テクスト〉 ―― 拡声装置としての〈国民〉の身体 ――
本発表は、いわゆる「紀元二千六百年」奉祝事業(一九四〇年)に合わせて制作された歌曲や楽曲のうち、一九三九年十二月にNHKラジオ番組「国民歌謡」で放送された二つの歌曲の歌詞を主たる分析対象とする。
一つ目は「紀元二千六百年頌歌」(紀元二千六百年奉祝会選定、東京音楽学校作詞作曲)である。その歌詞には、『古事記』など建国神話と関わりの深い古典に依拠した語句が多く用いられている。そうした用語によって「紀元二千六百年頌歌」およびそれが歌われた式典は、近代国家が建国神話を擬似的に再現し、自らの正統性を強化するための装置として機能したと言える。
二つ目は「奉祝国民歌 紀元二千六百年」(紀元二千六百年奉祝会・日本放送協会制定)である。これは広く〈国民〉に呼びかけて歌詞を募り、選ばれたものが実際に歌曲になったものであり、その作詞の過程そのものが、〈国民〉の祭典への参加を促すものであった。
これらの歌曲を歌うとき〈国民〉は、自らの身体を使って他者に向けて〈歌詞テクスト〉のイデオロギーを拡声していたと言える。そこで本発表では、歌詞の生成、流通、享受の様態を解明するほか、詩と同様に歌詞を文学テクストとして扱い、その分析を行う。
内閉と崩壊のイマージュ ―― 〈祭典〉の反照 ――
皇紀二六〇〇年を記念した一九四〇年(昭和一五年)は、祝祭的な喧しさの極点であった。国威高揚をあからさまにしたベルリンオリンピックを継ぐ東京オリンピック構想をはじめ、詩歌の世界もそうしたムードに連動した。その一方で、当時二〇歳前後の若き詩人たちの作品には、日中戦争の開始とともに、やがて自分たちに忍び寄るであろう何ものかへの怯えの予感や警鐘、自己の内景としての「室内」の創出とその崩壊、満身創痍での疾駆のさまや不眠の描出が、高揚したムードの反作用さながらに認められる。また、彼らの二十年年長にあたる村野四郎は、一九三九年(昭和一四年)、ベルリンオリンピックの画像と詩篇とを組み合わせた『體操詩集』で、「在来の憂悶詩に対抗」する世界をあらわした。自我を超克する即物的表現から翼賛詩、敗戦後の疲労感漂う抒情的作風へと、この期のながれを一身に体現する村野の存在をあわせながら、〈祭典〉による〈再編〉の作用と反作用とを捉えたい。
「皇紀2600年」の日満文学交流 ―― 日満交驩使節団訪日の足跡を追う ――
1940年2月、「紀元2600年」記念行事に参加し、あわせて日本の諸文化施設を見学、日満の文学交流を促進させるために、「満洲国」政府が「日満交驩使節団」を日本に派遣した。一行は約一ヶ月にわたる日本滞在中に、東京や鎌倉、関西などで多くの日本人文学者とも接触したが、その足取りがいまだ判明していないところもある。本発表は当時「日満」双方の文献資料を可及的に調査し、訪日団の足跡をたどりながら、いわゆる日満文学交流の表裏を探っていきたいと思う。