2018(平成30)年度 昭和文学会 第63回研究集会
日時 12月8日(土)13時より
会場 法政大学 市ヶ谷キャンパス 外濠校舎S407・S505教室
(〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1)
【研究発表】
第1会場(S407教室)
〈癸〉という場所から ――泉鏡花「甲乙」におけるトラウマと喪 ――
昭和初期における夏目漱石「坊つちやん」の劇化について
—― 二代目市川猿之助による初演を中心として ——
「再起奉公」を読む ―― 「美談」形式における傷痍軍人表象を中心に ――
小林秀雄『歴史と文学』 ―― 死を造形する方法――
“堕ちる”ことの意味 ―― 平林たい子「堕ちた人」論――
〈先祖〉表象における葛藤と困難
―― 横光利一「旅愁」、柳田国男「先祖の話」、火野葦平「天皇組合」を中心に――
第2会場(S505教室)
解放と抑圧 ―― 開高健「裸の王様」の「ぼく」と北川民次――
安部公房「壁――S・カルマ氏の犯罪」論
―― 「新ノアの洪水」が象徴する意味について――
〈男らしさ〉からの疎外―― 安部公房『砂の女』――
「箱」の中のオナニズム―― 安部公房『箱男』試論 ――
〈創作〉を装う自己演出―― 澁澤龍彥「避雷針屋」――
中上健次の「路地」再考―― 創造・解体・偏在――
※ 終了後、ボアソナード・タワー1階食堂にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
発表要旨
※PDFファイルはこちらからダウンロード可能です。
【第一会場】
〈癸〉という場所から──泉鏡花「甲乙」におけるトラウマと喪──
今藤 晃裕(日本女子大学附属高等学校)
泉鏡花「甲乙」(『女性』1925.1 プラトン社)は、関東大震災の爪痕残る三浦半島を避暑のために訪れた秋庭俊之が体験する怪異を描いたテクストである。これまで「甲乙」は、その題名のように、秋庭の前に出現する二人組の婦の怪に焦点を当て、鏡花の亡母憧憬の文脈、震災を挟んだその(不)変化をめぐって読まれてきた。だが、〈甲乙〉とは十干で1924年、1925年にあたる。こう読むと、舞台となる水戸屋とは水(の)戸=〈癸〉(1923)、すなわち関東大震災の表象=代行の場として描かれており、秋庭を脅かす死の恐怖は震災トラウマの回帰であるように考えられる。本発表では、このようにテクストに表れるトラウマと喪の諸相に着目して、テクストの読み換えをおこなう。また、テクスト分析を通じて、「甲乙」を鏡花の文脈から復興を語る当時の言説空間に置き換えることにより、「甲乙」がもつ震災後小説としての可能性を検討したい。
昭和初期における夏目漱石「坊つちやん」の劇化について
──二代目市川猿之助による初演を中心として──
赤井 紀美 (東京文化財研究所客員研究員)
夏目漱石「坊つちやん」(『ホトトギス』明治三十九年四月)は、数ある漱石作品のなかでも広く世に知られた作品のひとつであり、舞台、映画、テレビドラマ、漫画、アニメーションなど様々なメディアにおいてアダプテーションされている。他の漱石作品と比べてその数は群を抜いており、こうした多様な受容こそが「坊つちやん」が広く認知されている要因だが、特に映画やテレビドラマの影響により「坊つちやん」といえば正義感にあふれた青年教師が繰り広げる学園ドラマというような印象を多くの人々は抱いている。こうした「坊つちやん」イメージと小説そのものに大きなずれが生じていることは夙に指摘されているが、本発表では昭和十年の「坊つちやん」映画第一作に先駆けて昭和二年に初めて本作を舞台化した二代目市川猿之助の上演に着目し、アダプテーションにより今日のような「坊つちやん」イメージが形成されていく過程を明らかにしたい。
「再起奉公」を読む──「美談」形式における傷痍軍人表象を中心に──
市川 遥(名古屋大学大学院)
本発表では、『傷痍軍人成功美談集』(偕成社、一九三四年)を中心に、傷痍軍人の「再起奉公」を描く「美談」を分析する。傷痍軍人の「美談」はある程度定まった型を持ち、負傷後の職業復帰や後進育成が愛国的更生の物語として描かれる。
「美談」という形式は一九二〇年代から一九四〇年代前半頃まで、盛んに書かれており、主な題材としては、「学校美談」や「職場美談」など日々の生活に基づいたものと、「震災美談」や、「軍国美談」のように、出来事と関連して語られるものがある。
傷痍軍人の「美談」は、「軍国美談」であるとともに、負傷後の生活にも重点が置かれるという特徴を持つ。また、「美談」でありながら、労働の困難・失敗や、周囲との軋轢を描くことから、一種の「現実」の暴露であるという点も注目に値する。
本発表においては、「美談」に関する先行研究を参照し、「軍国美談」の位置づけを再確認するとともに、「美談」における傷痍軍人表象を分析することで、その独自性を明らかにし、それによって「美談」の読みがどのように方向づけられているか考察する。
小林秀雄『歴史と文学』──死を造形する方法──
『歴史と文学』(昭和16年(1941))所収「文学と自分」は日中戦争下での小林秀雄の文芸銃後運動講演であった。小林の前半生は戦争とともにあった。「戦争について」では「銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであろう」と書いた。
しかし、一人の人間の中で、兵士と文学者は共存でき、しかも「その時」にはっきり分離できるものなのか。中国・満州への一連の従軍記は、小林の戦争文学とも読める。死んだ子を想う母の歴史的事実とは、「戦死した息子」を想う母の思いとして読めば、時代や社会への深い嘆きとして見えてくる。
「決断」に選択の余地はない、小林は歴史について書くことによって、文学者が文学者として戦うことを実現したのではなかったか。それが「歴史と文学」であったと考え、この点を問題提起として、小林の「歴史」は確実な生としての、死を造形する方法であったと考察したい。
“堕ちる”ことの意味──平林たい子「堕ちた人」論──
一九四八年三月に発表された平林たい子「堕ちた人」には、「民族」という問題系が散りばめられている。戦前、左翼活動に殉ずるために自ら売笑婦となった主人公・敬子は「日本人としての魂の席」を持たない女性とされており、敗戦後は「あらゆる民族の血を、一つの肉体の皿に盛り合わせ」た小笠原出身者たちのコミュニティと生活をともにし、売買春によって生計を立てている。敬子と小笠原出身者たちの「民族」からの疎外の背景には、敗戦後/占領下日本の、思想ならびにナショナル・アイデンティティの混乱が付置されているのである。
本作品は、こうした民族性の混線の場を横糸に、敬子の生活の流転を縦糸にして構成される。ふたつの交点にあるのは、売買春と左翼活動——肉体と思想——である。本発表では、こうした観点から出発し、「堕ちた人」という題の指す内容を検討することで、本作が問いかける〝堕ちること〟の意味を明らかにしたい。
〈先祖〉表象における葛藤と困難
──横光利一「旅愁」、柳田国男「先祖の話」、火野葦平「天皇組合」を中心に──
大川 武司(会社員)
本発表は、一九四五年の敗戦をはさむ三つの作品(横光利一「旅愁」、柳田国男「先祖の話」、火野葦平「天皇組合」)の比較を通し、日本人あるいは皇室に関する先祖の語られ方が敗戦を経ることでどう変わったかを報告するものである。まず横光利一「旅愁」は、第二次世界大戦と敗戦をはさんで書き継がれた長編小説であり、発表では主人公矢代の九州への帰郷が語られる第五篇が中心となる。次いで柳田国男「先祖の話」は、一九四五年の四月から五月、空襲のさなか書き継がれた作品で、横光「旅愁」における先祖観とどう響き合っているかを示そうと思う。最後に火野葦平「天皇組合」だが、これは一九五〇年に発表され、敗戦直後に名乗りをあげた多数の自称天皇たちを題材にする小説である。おそらく本作は、上記二作品との間に先祖の表象において大きな断絶があると考えられる。この断絶の性質について明らかにすることを発表では重視する。
【第二会場】
解放と抑圧──開高健「裸の王様」の「ぼく」と北川民次──
山田 宗史(早稲田大学大学院)
開高健は「裸の王様」の執筆にあたって「創造主義美術教育運動」に取材した。従来これは子どもを生き生きと描くことを可能にした理由と見られてきた。しかし参照元と作品の記述を比較すると、必ずしも親和的な部分ばかりではなく、齟齬が生じている部分も確認できる。この齟齬を手がかりにすることで、新たに北川民次という「創美運動」に属した画家が典拠になっていたことが判明する。本作の「ぼく」と北川の類似から、本作の(子どもではなく)教師という大人の側に焦点をあてることで、これまでとは違った読解が可能となる。すなわち、本作に書かれていたのは「ぼく」が生徒の太郎を家庭の抑圧から解放する過程だけではなく、その教育を通して自身が解放されることを期待する「ぼく」の姿であり、そういった教師への批判的な視線だということである。同作は「創美運動」と親和的というよりも批判的であり、その姿勢は同時にアマチュアに可能性を見ていた同時代の文壇への批判としても機能していると見ることもできる。
安部公房「壁──S・カルマ氏の犯罪」論──「新ノアの洪水」が象徴する意味について──
顧 琦淵(関西大学大学院)
「壁――S・カルマ氏の犯罪」は安部公房が昭和二十六年二月『近代文学』に発表した短編小説である。ごく初期の作品として広く知られている。この作品は、「新ノアの洪水」という物語を締めくくるエピソードが重要な鍵である。これまでの先行研究にも言及して論じられてきたが、洪水が起こる原因、ノアが登場する意味、そして「新ノアの洪水」が象徴する意味についての考察はまだ不十分である。安部公房はこの作品をはじめ、「洪水」や「ノアの方舟」などでも「ノア」を登場させている。「新ノアの洪水」が象徴する意味に焦点を当て考察することが必定である。
本発表はテキストを改めて考察することにより「新ノアの洪水」に関わる謎を解明し、それが象徴する意味、そして作者安部公房は「壁――S・カルマ氏の犯罪」を通して伝えようとしたものを明らかにする。先行研究とは異なる新しい読みを提示したい。
〈男らしさ〉からの疎外──安部公房『砂の女』──
片野 智子(学習院大学大学院)
安部公房の長篇小説『砂の女』(一九六二年六月、新潮社)は、これまで戦後の社会で進行する人間疎外と、そこからの主体性の回復というテーマから読解されることが多かった。しかし、主人公の男の疎外とは何からの疎外なのかは具体的に提示されてこなかった。そこで本発表では、まず高度成長期の只中にある時代状況と関わらせて本作を分析することで、男が同時代の〈男らしさ〉の規範から疎外されていることを提示する。更に、砂穴に監禁された男は、部落の監視の視線のもとで都市では疎外されていた〈男らしさ〉を手に入れたかに思われるが、物語のラストでは淋病の再発とそれによる女の子宮外妊娠という事態に見舞われる。そこで描かれているのは身体の感染性=他律性であり、真なる主体の獲得/疎外という問題とは大きく異なる様相がそこには示されている。本発表では以上の経緯を考察することで、主体という概念を問い直し、本作の可能性と限界を明らかにしたい。
「箱」の中のオナニズム──安部公房『箱男』試論──
河田 綾(立教大学大学院)
安部公房の『箱男』(新潮社、一九七三年三月)は、誰が、何に書いているのかをくり返し攪乱させる書物である。そのため、本作の「ノート」や「落書き」といった表現形式、あるいはそれを読む読書行為について多くの先行研究が考察をしてきた。こうした研究状況に対し、本発表は、固有名を持たない「男」が「箱」を被って「箱男」になり果せるに及んで、「手淫」を行う点に着目することから論を起こしたい。「箱男」は、「箱」の中での「手淫」に耽ることによって、自己の身体のうちに他者の身体を虚想し、分裂・増殖していく。複数化した「箱男」は、その真贋及び「彼女」を覗く権利をめぐって対立するのであるが、このことは、本作が「男」の欲望するオナニズムによって象られた書物であることを明らかにする。このような視座から、『箱男』を考察し、安部の小説作品における「書く」ということを改めて問い直していく。
〈創作〉を装う自己演出―澁澤龍彥「避雷針屋」
細沼 祐介(法政大学大学院)
澁澤龍彥(一九二八~一九八七)の小説家としてのスタイルは、彼の仕事の大部分を占めるエッセイのそれと交じり合うことで、単純に物語を書き上げることだけにとどまらず、その背後にいる作者の姿を意図的に前景化し、読者の内部に積極的に〈澁澤龍彥〉という一種のキャラクターを構築させていくものだった。こうした読者の組織化は、澁澤の作品の魅力をより効率よく伝達する下地を作ると同時に、その特異なダンディズムの破綻を巧妙に回避する作用をも含んでいる。
特に後期小説創作の嚆矢となった短編集『唐草物語』(一九八一)においてそれは顕著であり、ともすれば剽窃とも受け取られかねない原典依拠のスタイルを精緻に駆使することで、既存の小説作品とは異なる独自の世界観を構築している。
本発表では以上を踏まえ、作品集のなかでも特に「避雷針屋」に注目し、澁澤が如何にして理想的な自己像を、作品を通じて強固なものとしていったか、そしてそれがどのように作品自体の魅力へと昇華されるに至ったかについて論じる。
中上健次の「路地」再考―創造・解体・偏在
鈴木 華織(法政大学大学院)
中上健次の作品に登場する「路地」は、中上の出自である和歌山県新宮市にあった被差別部落をモデルにした虚構空間であり、作家・作品を論じるうえで欠かすことができないトポスとなっているが、これまで「路地」を論じる際は、作家が創出した虚構空間であるがゆえに実際の土地とは切り離して分析・考察されることが多く、実証的な資料を踏まえつつ中上が現実の故郷からいかにして「路地」を生み出したのかを考察するといった機会はあまり無かったと考えられる。そのため本発表では、熊野地方及び新宮市、そして「路地」のモデルである被差別部落地区といった土地の地理・地形的条件や歴史が持っている特色を視野に入れながら、「路地」を改めて捉える試みを行う。そして、生み出された「路地」がどのように描かれて変容していったのか、加えて、社会的告発から離れた被差別の表白という面の分析も行いたいと考えている。
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