2018(平成30)年度 昭和文学会 秋季大会
特集 〈炭鉱〉の現在
日時 11月10日(土)午後1時より
会場 大東文化大学 板橋キャンパス1号館 101教室
(〒175-8571 東京都板橋区高島平1−9-1)
開会の辞
【講演】
炭鉱――グローバル近代の凝縮流――
【研究発表】
村山知義「〈ルポルタージュ〉石炭の中の人生」の〈記録性〉
働くことと記録すること――上野英信の描く〈炭鉱〉の射程――
スクリーンの中の〈炭鉱〉――崩落・飛翔・胎動――
※ご都合により発表ご辞退となりました。
【ディスカッション】
閉会の辞
※終了後、生協食堂にて懇親会を予定しております。予約は不要、当日受付にてお申し込み下さい。
【企画趣旨】
石炭は明治以来、主要なエネルギーとして日本の産業を支えてきた。九州から北海道、さらには植民地下の台湾や満州、朝鮮にも炭鉱開発が進められ、日本の帝国主義戦争を押し進める動力となった。しかし戦後には、石油への「エネルギー革命」を受けて石炭産業は急激に衰退し、隆盛を誇った巨大な炭鉱が次々に閉山を余儀なくされた。こうした流れに抗して各地で大規模な労働争議が起こったが、長引く対立によって共同体は疲弊し、炭鉱を失った地域の生活には今なお深刻な問題が残されている。
炭鉱には、その歴史のなかで多くの文学も生まれた。一方では拡大する炭鉱に成功の夢が見られ、さらに日本の産業振興を称える国策文学が書かれた。そして一方では過酷な労働と深刻な健康被害、事故の危険が訴えられ、囚人労働や強制連行などの実態も明らかにされた。また、炭鉱では労働者によるサークル運動も盛んに行われ、そこでも独自の文学が誕生した。
近年には、文学や映画において閉山後の炭鉱地域の物語が登場している。そこでの炭鉱は、失われた過去の象徴としてノスタルジーを駆り立てるものとなり、そのノスタルジーが後述するような観光資源化を称揚する道具とみなされることも多い。また、炭鉱は暗く閉ざされた廃墟のイメージとともに〈ホラー〉の装置ともなっている。一方で、戦後の炭鉱労働者とそのコミュニティの問題や、それを考える上で看過し得ない在日コリアンの問題を可視化するような演劇作品も生まれている。
現在、経済産業省は炭鉱の跡地や建築物などを「近代化産業遺産」として再価値化しようと働きかけている。そこでは近代国家形成の文脈から炭鉱の技術と発展の側面が強調され、ナショナル・アイデンティティの強化に寄与することが期待されるとともに、観光資源として活用しうる〈商品〉としての工夫も求められている。こうした展開において、強制連行や労働争議などの〈負の歴史〉が忌避されることが危惧されているが、一方でこのような炭鉱の〈商品〉化は、国家や市場の意向に依存することなしには立ち行かない旧産炭地の苦境のあらわれとも考えられる。
いま何が「炭鉱の歴史」として措定されようとしているのか、そこで不可視化されてしまうものは何であるのか。そしてそこで文学がどのような意味を持ち得るのか。石炭から石油、そして原子力へと進んできたエネルギー産業は、二〇一一年の原発事故を経て、いままた一つの転換点を迎えているだろう。そうした時代において、今再び〈炭鉱〉を考え直してみたい。
【講演者略歴】
青木 恵理子(あおき・えりこ)
1953年生まれ。龍谷大学社会学部社会学科教授。Ph.D.(anthropology人類学、オーストラリア国立大学)。
一九七九年から現在までインドネシア・フローレス島の村でフィールドワーク。一九九〇年代末から現在まで日本でフィールドワーク(トピック:移民の子供たち、旧産炭地のくらし、インドネシア人看護師・介護福祉士候補の若者たち、知的障がい者の創作活動)。主な研究テーマは、詩的言語、身体、もの、信仰、権力、ジェンダー・セクシュアリティ。二〇〇七年より、学生教育を通じて炭鉱研究を始める。『炭鉱の記憶と関西:三池炭鉱閉山二〇年展』(二〇一七年五月、六月開催)準備委員会メンバー。
主要業績:『女たちの翼:アジア初期近代における女性のリテラシーと境界侵犯的活動』編著(ナカニシヤ出版、二〇一八)、「近代を問う:日本の炭鉱が開く文化人類学的探究の可能性」単著(『龍谷大学社会学部学会紀要』第五二号、二〇一八)、「生の芸術:知的障がい者による創作についての一試論」(『龍谷大学社会学部紀要』第五〇号、二〇一七)、『炭鉱における生と死』編著(龍谷大学人権問題研究委員会女性研究プロジェクト報告書、二〇一五)、「親密性と身体:フェティシズム現象と人類学の地平」(田中雅一編『フェティシズム研究 第一巻』京都大学学術出版会、二〇〇九)、「ネオリベラルな現在(いま)、人類学にできること」(『文化人類学』七四(二)、二〇〇九年)、『生を織りなすポエティクス』単著(世界思想社、二〇〇五)、`Korean Children, Textbooks, and Educational Practices in Japanese Primary School'( In Koreans in Japan: Critical Voices from the Margin. Ryang Sonia ed.Routledge, 二〇〇〇)、 など。
【発表要旨】
村山知義「〈ルポルタージュ〉石炭の中の人生」の〈記録性〉
一九五五年四、五月号の『中央公論』に掲載された「〈ルポルタージュ〉石炭の中の人生」は、一九五四年の暮れから正月にかけて、福岡県大牟田市周辺の炭鉱を巡った村山知義による、中小の炭鉱で生きる人々に焦点を当てた〈記録〉である。「死んだ海」(一九五二)に代表されるように、村山は勤労者の生活を実際に取材し、彼らが抱える問題を戯曲化することで、戦後の演劇運動を牽引してきた。「石炭の中の人生」は、戯曲ではなくルポルタージュであるが、各炭鉱の労働組合、炭鉱住宅、文化活動、主婦組織など、エネルギー産業の転換期における〈炭鉱〉を多角的に描出しようとした意欲作だといえよう。
本発表では、劇作家の〈眼〉が捉えた〈炭鉱〉のルポルタージュが、どのような〈記録性〉を有するのかを考察する。また、そのなかで「可視化されるもの/されないもの」についても考えてみたい。
働くことと記録すること――上野英信が描く〈炭鉱〉の射程――
上野英信(一九二三-八七)が初めて「坑夫」として坑内へ下がったのは、一九四八年一月であった。まもなく炭鉱の仲間とサークル誌を発行する。その後も英信の著作は、共同創作的性格をもつ。五〇年代には千田梅二と「えばなし」を発表。「サークル村」(一九五八、創刊)を発行する一方、中小炭鉱を捉えた『追われゆく坑夫たち』(一九六〇)を刊行する。写真サークルのメンバーによる写真(三四枚)が収められた。山本作兵衛の絵画が挿入された『地の底の笑い話』(一九六七)、写真家・宮松宏至と南米へ渡った炭鉱離職者を取材した『出ニッポン記』(一九七七)、沖縄から炭鉱移民としてメキシコに渡った人々を記した『眉屋私記』(一九八四)等、廃鉱にとどまり、〈炭鉱〉を書き続けた。「坑夫」であり、記録文学者でもあった英信の記録とはいかなるものなのか。度々言及される鹿児島の農村の諺や、武田泰淳『司馬遷』等を軸に、「炭鉱後」の現在において英信の著書を読む意義を考察する。
スクリーンの中の〈炭鉱〉――崩落・飛翔・胎動――
※ご都合により発表ご辞退となりました。
炭鉱を描いた映画の系譜を辿り、特に近年の「炭鉱映画」(とその原作)に見られる表象の傾向を考察する。劇映画は炭鉱を基点にして様々な物語や問題を描き、〈炭鉱〉イメージを生成してきた。九〇年代以降、サッチャー革命後の炭鉱を舞台にした『ブラス!』などが日本でも公開され、やはり音楽やダンスをセットにした『フラガール』のヒットへと繋がった。落盤・閉山といった物語内容が、スクリーン下部への人物・物体の移動という「崩落」のイメージで表現される一方で、新しい世代が華やかな舞台や空へと「飛翔」する映像で未来が展望され、同時に炭鉱街の生活が昭和ノスタルジーに彩られ、強制労働など負の歴史は葬られていく。だが朝鮮人や女性の炭鉱労働、子供のボタ拾い、ゲイ・レズビアン運動と炭鉱組合の共闘など、周縁化されがちな側面もスクリーンは映し出してきた。そして『海炭市叙景』やホラー映画群は、「胎動」を通して炭鉱の生命を伝えている。
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秋季大会の出版社出店について
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